2008年08月28日

小説書きのための構造主義(13)

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■物語の構造分析(7)

《実例:8》構造的に読解してみる(2)

 では次に、《異世界の構造》の方を見てみることにしよう。

 もちろん《異世界の構造》の方では、戦いが行われている。
 人類の敵たる魔王がいて、きっと戦争状態にあったりするわけだ。すると毎日、大勢の人々が殺されたりしている。それ以前の問題として、恐らく主人公が元いた世界は現代日本と言うことになるだろうが。先進国日本に生まれ育って、特に何の訓練も受けていない、軟弱な高校生では、だ。異境の地では、生活することすら怪しい。つまりは生存そのものが戦いと化すだろう、と言うことだ。
 ただし、本来ならば、の話ではあるが。

 さきほどボクは《高校の構造》では大人たちにも事情がある、と説明した。構造主義的に、世界は自分だけで成り立っているのではない。
 それと同じように。《異世界の構造》でも構造主義的に、主人公以外の存在にも事情があると言うことになる。魔王の存在や、勇者の力にも、それなりの立場と理由があるはずなのだ。
 だから勇者がいるからと言って、魔王がそう簡単に負けてくれるわけがない。すなわち、願望通りに現実が進むわけがない。「魔王を倒す勇者」にも、それなりの困難が存在するはずなのだ。
 常識的に考えて。

 ところがだ。例となっているストーリーでは、主人公が勇者として選ばれたのは、偶然と言うことになってしまっている。
 困難に立ち向かうための「戦いの手段」とは、物語でも最も重要な鍵[キー]となる場合が多い。この場合なら「戦いの手段」は「勇者のちから」と言うことになるだろう。
 それが単なる偶然であり、誰でも良かった。主人公は自分で苦労し努力することもなく、現実と戦える手段を得られました。それも「勇者のちから」と言う、魔王に苦しめられている一般人とは隔絶した特権である。
 そんなものを単に振るったところで、「戦い」にはならない。

 ……これはボクの個人的な私見なのだが。
 人は欲望を抱く。だが他の人だって欲望を抱くものだ。ゆえに人と人とは激突する。また世界は、自分の意図とは関係なく動いている。ゆえに現実は厚い壁となって、自分の前に立ちふさがる。
 そうした、自分の思い通りにならない《他者》へ立ち向かうこと。困難へ立ち向かうこと。それが本当の意味での、戦いなのだ。
 世界や他人が、単に「思い通りにならない」と言うのは、「自分で悩んでいるだけ」に過ぎない。戦いは現実と、そして他者と行うものだ。自分がひとりで悩みました、苦しみました、と言うだけでは「戦い」にはならない。

 そして《高校生の構造》における「現実との戦い」とは何なのかと言うと。実は、他人と世界とが自分の思い通りにならなかったので、自分で勝手に悩んでいただけ。悩む以外に、特に自分からはアクションを起こそうともしていない。
 つまり《高校生の構造》中には、戦いなんて存在していなかった。ならば今度は、《異世界の構造》中においても、「本当の戦い」は行われていたのか、と言う問題が生じてくる。

つづく



追記:
毎度恒例。また長くなったので、前中後編構成にまとめるのは無理でした!
あっはっは。 orz
posted by はまさん at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 連載:構造主義教室

2008年08月19日

小説書きのための構造主義(12)

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■物語の構造分析(7)



《実例:8》構造的に読解してみる(1)

 技術的なまとめとして、構造的な読解をしてみましょう。以下の例文をお読み下さい。
 ボクが自分で構造主義を利用して、パッと作ってみました。ですから、まあ、よくあるパターンの物語です。
《例》
●起:主人公は高校生。大学受験で大人たちと反発している。本当は小説家になりたいから進学したくない。
●承:偶然、異世界に召喚された。
●転:異世界人は誰でも勇者になれる。魔王の軍勢と戦うことになった。
●結:魔王を倒すことができました。
●テーマ:高校生としての「現実との戦い」を、「魔王との戦い」とで構造的に対比させてみました。

 では突然ですが、皆さんへ質問です。この作品の、どこが御都合主義なのか。構造主義的に説明してみてください。

 あくまで「構造主義的に」説明しなくてはならないので、ストーリー上の指摘だけでは不充分となります。ですから「たまたま勇者としての能力を得られたから、御都合主義だ」と言う答えでは、理由の全てとはならない。間違ってはいませんが、半分だけ正解と言ったところでしょう。

 ならば、例の物語にどのような構造が背景にあるのか。分析してみましょう。
 ですが比較する前に、まずは準備しておきたいことがあります。例の物語には、中へふたつの構造が入っています。これを仮に、主人公が住んでいる元の世界の物語構造を《高校生の構造》、そして主人公を召喚した異世界の物語構造を《異世界の構造》と呼ぶことにしましょう。
 すると気が付くはずです。テーマとして挙げられている「構造の対比」と言うのが、そもそも比較・対比になっていない、と言うことに。

 まず《高校生の構造》の方を分析してみると。作者が、そもそも「悩む自分」である主人公自身を構造化できていないことに気が付きます。
 「夢を大人たちに反対されました」とは言うものの。だがそれも、大人たちにだって、それなりの考えあっての反対であるはずなのですね。それを「自分の欲求が受け入れられませんでした」からと言って、「現実との戦い」になるわけがない。なぜなら、欲求を受け入れてもらおうとする努力をしてからが、本当の「現実との戦い」となるのですから。
 何者か自分の意図が及ばない他者と向き合わずに、とても「戦い」とは言えない。

 すると《高校生の構造》は、「悩める自分」と言う主人公の物語が、他者との相対化が行われていない。ゆえに構造化されていない。自己中心的な《実存》のみで、周囲が見えていない、と言うことになる。
 ゆえに《高校生の構造》の内容は「現実との戦い」ではない。「どこにでもいる高校生の甘えた願望」と言う《実存》の、いちパターンに過ぎない、と言うことになります。
 ならば「高校生としての「現実との戦い」を、「魔王との戦い」とで構造的に対比させてみました」と言うテーマも、本当に成功しているものか、どうか。怪しくなってきましたね。

つづく
posted by はまさん at 00:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 連載:構造主義教室

2008年07月18日

小説書きのための構造主義(11)

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■物語の構造分析(7)



《実例:7》クロスオーバー:その3

 最後に紹介する技法は、入れ子技法や、クロスオーバー技法の、更に応用になります。
 クロスオーバーさせる構造に、《大きな構造》や《小さな構造》と言うように、異なるスケールのものを使ってみましょう。
 《大きな構造》とは例えば、SFやファンタジーならば、世界観。《小さな構造》とは例えば、ドラマならば、環境であり状況。そして人間関係など。
 これら異なる種類と大きさの構造に関連性を持たせ、クロスオーバーさせるのです。

 と、これだけでは、分かりづらいでしょうから。もっと具体的に説明してみましょう。今回、例として使う構造は、「父を殺し、母を犯せ」と言う有名な神話類型です。
 この神話の代表は、《エディプス・コンプレックス》の語源ともなっているギリシア神話、オイディプスの物語と言うことになるでしょう。今は詳細な内容に関しては省かせてもらいます。興味を持った方は調べてみると面白いかもしれませんよ。

 ちなみに、解説へ入る前にひとつ。「父を殺し、母を犯せ」と言う神話は別に、自分の家族へ危害を与えることを推奨しているわけではありません。構造主義的に読解してください。
 この場合の《父》とは、古い権力に支配された社会を。そして《母》とは、旧権力が独占していた既得権益である。そう判断することも出来ます。つまり「父を殺し、母を犯せ」と言う神話が示すのは、新しい世代の人間が王となるプロセスに関するものでもあるのですね。

 では、次の例を御覧ください。
●A:主たる神は、悪神たる父を殺して、その肉体より天地を創造した。
●B:父は自分に王座を継がせる気はない。そこで父王を殺害して、王座を奪還する。
●C:子猫のミーコはおっぱいに飽きたので、ママのメザシを横取りして食べちゃうことにした。

 全て一応ではありますが、確かに「父を殺し、母を犯せ」の構造を持っていますね? ただしABCとでは各々、物語としての規模[スケール]が違います。
 Aは世界の創世神話。Bは王国の興亡史。Cは子猫のささやかな冒険。《大きな構造》からすれば、《小さな構造》なんて些細なことなので視界にも入らない。《小さな構造》からすれば、《大きな構造》で起こっている出来事は非現実的すぎて、逆に視界へは入らない。
 ゆえにABCの構造が互いに影響を与え合うことは、本来ならばあり得ません。

 ですが、これらABCと全ての構造が実は、同じ物語世界内で起こっていることだったとしたら、どうでしょうか。つまり、スケールとしての入れ子状態にすることで、クロスオーバー化させるのです。
 もちろんクロスオーバーさせるのは別に、同じ構造でなくとも構いません。《大きな構造》と《小さな構造》とで、反対の構造を使い、対称性を持たせても面白いでしょう。
 そうして、ひとつの物語内に同じ構造が、複層的に重なったまま。全体と部分とで物語を行き来させる。互いに互いで影響を与え合うのです。
 ちなみに《実存》を《小さな構造》のひとつとして使うのも、ベタではありますが。効果的な技法と言えるでしょう。

つづく
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2008年07月06日

小説書きのための構造主義(10)

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■物語の構造分析(6)



《実例:6》クロスオーバー:その2

 まずはこの例を御覧下さい。
●Aは貧乏の生まれだったが、立身出世して金持ちになる。
●Bは金持ちだの生まれだったが、事業が失敗した末に転落し、貧乏になる。
●Aは成功により慢心して、他人に対して疎かに扱うようになる。
●Bは今まで気付けなかった、人の優しさを改めて知る。
●Aは金を持ってはいるが、誰からも見放され、孤独の内に老いて死ぬ。
●Bは多くの愛する人たちに見守られながら老死を迎える。

 AとBとで互いに、逆の構造となっていることに気付かれたでしょうか。

 ここでひとつ注意してほしいことがあります。上の例で使っている「金持ちと貧乏人」と言う立場は、どちらが正しくて、どちらが悪いと言う意味で使っているのではありません。「正反対の立場にあるふたり」と言う構造の一例として、使っているだけです。
 ……と言うことは、ここまで構造主義に関する説明をしてきたのですから、既に分かっていただいていますよね?

 そして今回の例では、ABの物語がどう交錯するのか。そのポイントに関する説明は省かせてもらいます。今は重要ではないので。とりあえず、実はAとBとが知り合い同士だとか。両者の物語が等しく、交互に描かれるものと考えてください。

 前回で紹介したのは似た構造を重ねてクロスオーバーさせることで、構造を強調する効果を持たせる、と言う技法でした。しかし今回紹介するのは同じクロスオーバーでも、対比の効果を持たせるための技法です。
 クロスオーバーさせる構造同士に、対称性を持たせる。すると関係のないはずだった、ふたつの構造に関連性を付与されることで、強く立ち上がってくることとなります。

 ところでこの技法、気が付けた人がいたら凄いと思います。実は、構造そのものを「ほのめかす描写」のパーツとして使っているのですね。同じモチーフを、別の視点から語っている。
 そうして構造により物語全体で、更に大きなものを描き出すのです。

 ちなみに補足ですが。「構造と実存」の物語も、その意味として。対比させたクロスオーバー技法のひとつ、と言って良いでしょう。

つづく
posted by はまさん at 01:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 連載:構造主義教室

2008年06月30日

小説書きのための構造主義(9)

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■物語の構造分析(5)



《実例:5》クロスオーバー:その1

 これからお教えするクロスオーバー技法とはどのようなものかと言いますと。
 異なる複数の構造を組み合わせて、ひとつの物語内で同時に進行させることにより、単独の構造では得られなかった新しい効果を生み出す。音楽で喩えるならば、単音を複数組み合わせることで、和音となるように。単音だけではない印象と効果を与える。と、そのような技法です。
 ただし技法とは言っても、決まった約束事と言うわけではない。むしろ発想法に近いものとなっています。ですから使い方が自由すぎて、ボクの中でも完璧には整備できていません。ですから、もしも説明しきれない部分があったら申し訳ありません。

 ……余談ですけど。正直な話、この技法を教えてしまうのは流石に勿体ないと考えている自分が、まだどこかにいます。
 さて!

 では下の物語をまずはお読み下さい。
●Aは金持ちとして育つが、家業を継ぎたくないので、親に反発して家出しました。
●Bは貧乏な家に生まれたが、いつも酒を呑んでばかりで働こうとしない親に反発して、家出しました。
●ある日、同じ職場で働いていたAとBは仲良くなり、互いに親友となりました。

 Aの物語とBの物語とで、同じ構造になっていることに気付かれると思います。もちろん、これら構造Aと構造Bとは、別の物語として存在しても構わなかったのでしょう。ですが、構造Aと構造Bとが、ある一点で交わることにより、新たなる構造Cを生み出しているのです。
 構造が表す意味としてだけ説明すると、以下のようになるでしょうか。
●構造A「親に反発して家出した」
●構造B「親に反発して家出した」
●構造C「AとBとが出会い、友情の大事さを知った」

 以上の物語、つまりは「家を出ると、そこにはもっと大事なものがありました」と言うテーマになると思います。ですがこれ、単独の構造だけだと、かなり説得力が薄くなってしまいます。ですがAとBと言う全く違った境遇の物語に、同じ構造を持たせることで、互いの物語に強調の効果を持たせているわけです。
 ただし、ここで気をつけなければならないのは。AとBとが交わることなく、無関係のままだとクロスオーバーにならない。単なる連作[オムニバス]になってしまうことです。いや、もちろんオムニバス形式はオムニバスで面白いのですが。やはりクロスオーバー独特の効果とは違ってくるのですね。複数構造を持つ、単独の作品だからこそ面白い。深みが生じる。

 無関係だった別の物語は、出会ったのが偶然だったとしても。出会った途端に《同じ構造》と言う、意味と関連性が生じます。
 ですから、異なる構造を「どこで」そして「どうやって」交錯させるのか。これが、クロスオーバー技法におけるひとつの、重要ポイントになってくると考えても良いでしょう。
 逆に言えば、物語が交わる理由付けが存在しないと、単なる「ふたつの物語」になってしまいますから。じゃあ、別々に書けと言うことになってしまいますよね。

 と言うことは、複数の物語が交わる理由の中に、作者のテーマ性が最も表面化してくる、と言うことにもなってきます。さきほどの例ならば、「違った育ちの人間同士が出会い、大事なものを知った」と内容ですので。作品のテーマはすなわち「やっぱり人間、育ちよりも友情ですよね」と言うことになることでしょう。

つづく
posted by はまさん at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 連載:構造主義教室