2011年04月16日

小説技術メモ/新しい読書法を編み出した

短期間で効果的に知識を吸収するための読書法を編み出した。
同じジャンルの本は二冊以上を同時、もしくは連続して読む。

読書とは、本と自分との対話だというけれど。
こうすると本同士で内容を照らし合わせながら読むので、
「自分と本」だけでなく「本と本」同士での対話まで起こってくる。

しかも重複した内容があると、
既に知っている内容は読み飛ばせてしまう。
結果、バラバラに読むよりも、同時読み・連続読みの方が
読書スピードは早くなる。
集中して読むから、という以上の効果が期待できるのだ。

というわけで最近のボクは同じジャンルで二冊の
ローテーションを組んで読書しています。
読むのが計画的になるのも、この読書法の利点なのかも。

ちなみにこの読書法は、手っ取り早く知識を習得したい時、
だから入門書を読む際に効果的のようです。

余談だけど……読んだあとノートを取るのは基本な?
ちなみにボクはペンで直接マーキングするのは抵抗感があるので、
付箋でチェックだけしておく派。

こんな感じで。
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posted by はまさん at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学的(読書方法)

2009年12月05日

小説技術メモ/読書法

周囲の流行へ、無理について行こうとする必要はない。
後追いでは幾ら頑張っても、そうそう一番にはなれない。
何とか目立とうと奇抜な発言をしても、イタくなってしまうだけだし。

だったら目指すべきは、新たな流行を作り出すか、
今の流行を追い越してしまうことだ。
そのためには流行の元となった、古典・原典・名作を読まなくてはならない。

だからそうした勉強している間は、流行を追いかけている周囲の人から、
あなたは沈黙しているかのように見られるだろう。
そりゃー、さぞかし無愛想に見られるだろう。

だが、それは「死んでいる」からではない。
沈黙とは言葉が発せられる前の準備期間として、必要なものだ。
沈黙とは死ではない。

もちろん皆と一緒に、流行を追いかけていた方が楽しいだろう。
無理して目立つ必要もないだろうし、
わざわざあなたが流行を作ろうとする必要だってない。

ま、それをいったら作家を目指したり、
小説を書いたりする必要だってないのだけどね。
だったら、どうして人は苦労してまで創作するんだ、
って話になっちゃうんだけどねー。

……とまあ、以上のようなことを、
さんざん失敗を繰り返した末、身に付けたつもりだったのだけど。
ちょっと最近、「沈黙」の大切さを忘れていたみたいだ。
自戒。
posted by はまさん at 23:17| Comment(2) | TrackBack(0) | 文学的(読書方法)

2008年01月15日

情報フロー下での読書法:後編

 これの続きになります。

 ならば、「影響を受けそうだから、読まない」とは一体、どう言うことなのか。
 「読みたくない」だけなら別に構わないと思うのです。自分の意思ですから。興味がないものを、無理に読む必要もないでしょうし。
 しかし、内容の素晴らしさは直感している。ちゃんと出会いもしている。だが、現状を変えたくないから読まないと言う。この理屈をボクはどうにも理解できないのですね。

 「読みたい」とか「影響を受けそう」と言う直感とは。その情報を最も美味しく咀嚼できる、旬の時期だと言うことです。
 何年か後に思い出したように読んだって、感動は色あせて、薄れてしまっていることでしょう。それは、すごく勿体ない話です。
 成長する機会を失ったと言うことは、損得勘定でプラスマイナス、ゼロになっているのではない。チャンスロスに当たる。むしろ、成長にとってマイナスになっている、とすら言えるでしょう。

 これってショートケーキで喩えるなら。食べる前にイチゴを捨ててしまっているようなものですよ。いちばん美味しいトコロを最初から食べようとしていないのだから。
 そんなものショートケーキじゃねえだろうと。だったら作った人に失礼だから、最初からイチゴのついてないケーキを買えと言いたい。

 「読みたいけど、読めない」のではなんですよね。本当は、自分が自分の意思で「読まない」だけ。自分の世界を決めるのは、自分の意思だけです。
 だから、影響を「受ける」とか「させられる」とか。さも他人の責任、みたいな言い方を聞くと、どうも気に入らない性分なんですね。

 ……ただ、ですね?
 なんだかんだ言っても、傑作なんて、そうそう出会えるものではないし。出会えたら読まないと、傑作かどうかは分かりません。ぶっちゃけ、影響を受けそうな本を読んで、本当に影響を受けるのは、良くて半分の確率と言ったところです。ボク個人の経験からして。
 もちろん、傑作に出会う確率を上げるために、勘を鍛えることは出来ます。ただし、多くの読書経験によってのみ、その勘は鍛えられるのですが。

 以上が、面白そうな本は、さっさと読めと言う理由になります。
 あとは、情報をフローさせることにより。「集積された知識(コンテンツ)」を「体系化された知恵(コンテクスト)」へと質的に転換させて。自分の中で知のフローを生じさせて、新たなる知の体系を築き上げようとか。
 まあ、そんな感じのことを考えている最中ですが。まだ理論としては曖昧なので、メモ代わりと言うことで勘弁してください。

 中途半端ですが、以上になります。すみませんでした。
posted by はまさん at 00:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学的(読書方法)

2008年01月14日

「心技体の修行方法」に関する補足など

 以前、「心技体の修行方法」と言うものを紹介させてもらったことがありますが。これ、とある人から良かったよ〜、との御言葉を頂いたので。調子づいてageてみる。
 そして更に調子に乗って、補足まで加えてみます。

【その1】
 「心技体」と自分の実力を能力値化することで、効率的な成長が出来るようになるだけでない。問題解決に対して、効率的な戦術をとれるようになってきます。
 効率的な戦術とは何かと言うと。具体的には、「戦力の集中と、リスクの分散」と言うことになります。
 ちなみに「戦力の集中」に関しては、「ランチェスターの法則」を参照。

【その2】
 リスク分散について説明。
 絵を描くのが得意な方だから、美術部に入部してみたところ、自分なんてヘタッピな方でした。居場所がどこにも在りません。なんて良くある話です。
 じゃあ、どうすれば良いか。得意なジャンルを複数持っていれば良いのです。
 例えば、絵を描ける上に、たくさん本も読んでいたとしよう。すると、絵を描く人の集まりの中では、「たくさん本を読んでいる人」として、一目置かれるようになる。
 これが今度は、たくさんの本を読んでいる人が大勢いる、例えば文芸部に行ったとしよう。すると読書量では皆に負けるかも知れないが。今度は「絵を描ける人」として一目置かれることになる。
 新しい環境に変わって、何も出来ないのは当然。いつまでたっても何も出来ない、と言うのではなくて。ひとつだけでも何か可能なことさえあれば、自分の居場所が出来る。そこから頑張ってゆけば、少しはラクってものでしょう。

【その2】
 新人賞に限らず。ウケるためには、他人が書かないような作品を書け、と言われています。どこの誰が言い出したのかは知りませんが、まあ真理ではあるでしょう。しかしこの都市伝説のおかげで、すぐネタへ、ネタへ走ろうとする小説書きの人が続出することになる。……だけどね? 一発ネタって、そうそう続かないものなんですよ。
 じゃあ、他人がやっていないことをやる、とはどう言うことなのか。これはマーケティング理論における、ニッチ[スキマ]を狙うことだと考えれば良いでしょう。それも、一発狙いのネタによるニッチではなく、実力によるニッチ狙い。いわば、作風のニッチと言うことになるでしょう。
 例えば、ウケる漫画を描きたい。この場合、漫画を描くウデが、「技」と言うことになります。これだけでは、なかなか勝負を決めることはできない。そこで、何となく昔やっていたテニスの経験を活かして、テニス漫画を描くことにした。これでもまだ、セールスポイントとしては弱い気がする。そこで現在、合格したから何となく通っている、大学で勉強した経済学の知識を応用することにした。すると「テニス×経済学×漫画」。うん、ここまで来ると、なかなか他に類例がなさそうになってきました。
 ネタによる一発狙いは、よほどの天才でない限り、後に続きません。しかし、作風によるニッチ狙いであれば、修得した能力の組み合わせによって、無限のオリジナリティを生み出すことが出来ます。

【その3】
 実はこれが最も重要なのですが。何が自分にとっての「心技体」なのかを知るということは、自分を知ると言うことでもあります。そして、何が得意で何が苦手なのかを判断するためには、周囲の環境と自己とを比較するしかしかない。「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず」って奴ですね。
 長所と短所。戦うべき場所と、逃げるべき場所。自分のカテゴリーを明確に知る。すると必然、勝率が高くなってきます。一度負けて全てを終わらせるくらいならば。百ぺん逃げて、最後の最後に一度だけ勝ちさえすれば良いのですよ。勝負なんてもの。

【余談1】
 自分には、「心技体」のどれかがないだとか。もしくは、複数。あげくは何も持っていないと言う人は。ひとつ、自分が欲しいものを決めて、ゼロをプラスにしていきゃあ良いんだよ!
 それで、ひとつ何かが身についたら、次の欲しいものを身に付けるのね。

【その4】
 この「心技体」の内容は、自分の努力次第で、どんどんと変化します。それもそうで。弱点を克服してしまえば、それは既に弱点ではないし。必要があって得意ジャンルを強化するにしても、強化し終わってしまえば、それ以上の必要はなくなってしまう。
 だから、意識的に「心技体」の内容はどんどんと入れ替える。そうして、自分の成長を自覚することで、自信も付くと言うものです。
 今回のエントリを読んでいる皆さんも。一度、遊びと思って自分の「心技体」を考えてみてはいかがでしょうか。なかなかに面白いものですよ。

【余談2】
 ちなみに今現在、ボクの「心技体」は。
 「技」は意図あって、封印しているところ。でも、普段から文章を書いていたり。文学とは直接関係のない分野でも勉強していると、応用できそうな知識ってあるよね?
 今は主に、「体」のターン。宗教学と、メディア論を中心に勉強しています。それに、宗教学をやっている関係で興味が出てきたから、おまけで経済学。そうすると……どうも最近、「心」が足りなくなってきたかなーって不安だったのだけれども。気が付けば「心」も深くなっている自分に気が付いた。考えてみれば、宗教って人類にとって最高の思想体系だったんですよね。あー、やべ。現代思想への興味が浅くなってきた。
 とそんな近況。
posted by はまさん at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学的(読書方法)

2008年01月11日

情報フロー下での読書法:前編

 何を考えて、ボクが以前こんなことを言い出したのか。補足として、少し説明を加えさせて貰います。
 ただこれは、まだ未完成の原理でして。支離滅裂になっているでしょうが、そこは申し訳ありません。



 皆さんも何かしらの「効率的な読書法」と言うものをやったことがあると思います。例えば、目標を立てて読むとか。テーマを決めて読むとか。読書時間を作るようにするとか。
 確かにそうした「効率的な読書法」を行うことにより、知の学習速度は速くなります。そして「影響の大きそうな本を読む」と言うのは、ボクの経験則と思想から生まれた「効率的な読書法」なんですね。

 今や現代日本は、情報化社会となっています。では情報化社会の特徴とは何か。簡単に言うと、目の前に用意されている情報[コンテンツ]が多く、溢れかえっている。また目的のコンテンツを簡単に入手することができる。
 そのため情報化社会においてコンテンツは、飾られて大事にされるパッケージではなくなった。流れ[フロー]となってしまった。従来は「ざるそば」で消費者に届けられてきたコンテンツが、今では「流しそうめん」になっている。次から次へとコンテンツが送られてきて、全てを食べきれなくなっている。そんなイメージを思い浮かべると、分かりやすいのではないでしょうか。
 例えば、wikipediaで調べ物をしていて、そのまま夢中になり、気が付けば長時間経過していた。もしくはYou Tubeやニコニコ動画を見ているうちに、時間を忘れてしまっていた。なんて経験、皆さんにもあるのではないでしょうか?

 と言うわけで、これ以降はもう「情報化社会」ではなく。あえて明確化するために「情報フロー化社会」とここでは言っておきましょう。
 まず情報フロー化社会において注意すべきは、全てのコンテンツを消化することは不可能だと言うことです。ならば情報フロー化社会において、効率的な読書を行うためには、何を読んで、何を読まないか。その取捨選択が重要課題になってくる。
 つまりは「読み方」が大切になってくる、と言うわけですね。

 ちなみに読書法においては、「本との出会い方」も大切な要素ではありますが。
 情報フロー化社会においては、過剰な情報量が流通されるだけでなく。ニーズに合った情報をユーザーに届けるための、流通インフラ整備も行われるようになります。こうして生まれた結果のひとつが、googleのような検索サービスだと思って良いでしょう。
 そして「本との出会い方」はつまり、情報収集法と言うことになるでしょうが。情報収集能力に関して言えば、googleに勝てるようなヤツなんて、世界中を探したって、そうそういやしません。
 ならば、情報フロー化社会での読書法において最も大事なのは、「読むタイミング」と言うことになってくる、とボクは思うのです。

 情報はフローし続けている。その情報を必要としている、《今この時》の機会を逃せば、もう価値は暴落してしまう。《今この時》に読まないと、流れ[フロー]に追いやられてしまう。
 だったら、膨大な情報がフローしている中で、やっと読みたい本に出会えた。影響を受けそうな本に出会えた。《今この時》だからこそ、読むべきだろうと思うのです。
 そもそも「影響を受けそうな本」とはどう言ったものか。読書とはただ単に、知識を得るためだけのものではありません。本当に優れた本に出会えた時、人は「考え方」が変わります。そして新たな「考え方」を得ると人は、知の吸収率が格段に上がるものです。こんな経験、皆さんにも一度や二度はあるのではないでしょうか。
 こうした、人生観を変えるほどの影響力を持った本のことを、仮に「座右の書」と呼ぶことにしましょう。

 もちろん情報フロー化社会の中でも、名作と言えるものは確固として存在します。情報のフロー化により、コンテンツの賞味期限は早くなりました。旬を逃せば意味はありません。だが名作は永遠に、名作であり続けます。ただし、手に取った作品が名作かどうかは、本人が読むまで分かりません。
 情報フロー化社会では、どんな情報でも簡単に手に入れられるが。自分にとって座右の書となるべき本だけは、自分で選ぶしかない。結果、座右の書に出会える可能性は、むしろ低くなることも考えられます。
 どんな情報でもフローして、溢れている中だからこそ。自分で自分の求めている情報を選ぶことの方が困難になってくる。情報フロー化社会においては、《今この時》だからこそ出会えた。その《機》こそが、情報収集において最も大事な要素になるとボクは思うのです。

 もちろん《今この時》必要だと言う根拠は、勘でしかないでしょう。しかし「勘」とは言語化する前段階における、無意識的で総合的な判断のことです。意思決定法においては、バカにするどころか。かなり重要な要素とすら言えます。
 そう考えると、この読書法。「出会いと勘の至上主義」的な読書法と言えるかもしれません。

 もちろん、「あえて読まない」と言う選択もアリです。実際、ボクにも「あえて読まない本」ならありますし。
 例えばボクは先日、ヨーロッパ文化に関する本を買って読もうとしたのですが、第一章まで読んだのに、さっぱり内容が頭に入ってこない。しかし、この本を読むには、どうやらケルト文化についての基礎知識が必要らしいと気が付き。ならばと言うわけでケルトに関する本を読んでいると、どうやらケルトを理解するには、カバラに関する基礎知識も必要らしいと気が付き。そこでカバラに関する本を読んでいると、どうやらカバラを理解するには、密教とグノーシスとキリスト教に関する基礎知識も必要らしいと気が付いたのですが。ただ、密教とグノーシスとキリスト教に関する基礎知識は、既に持っていたので助かりました。
 そうしてボクはようやく、本棚に戻していたヨーロッパ文化の本を、読書再開できるようになったわけです。

 と言うように。良作であるのは何となく分かっていても。内容を全て理解する自信がないから読まない。これはアリだと思います。名作として10ある情報のうち、凡作と同じ7の情報量しか理解できないのは、実に勿体ない話でしょうから。
 これは恐らく、ショートケーキのイチゴを最後までとっておく発想だとボクは思うのです。つまりは、最も美味しく食べられる機を待つ。だから食べない。読まない。全ての内容を理解できそうにない、と言うことはすなわち、まだ機が熟していない、と言うことでしょうから。

長くなったので続く。
posted by はまさん at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学的(読書方法)