2008年09月23日

小説技術メモ/歌詞作り

例外はあるにせよ。J−POPの歌詞と言うのは恐らく、
童話の言語と同じくらいのリズムになっている気がする。

しかし、それも別段に不思議な話と言うわけではない。
現在J−POPの源流を辿ると、日本歌謡曲や演歌や浪曲に行き着くことになる。
そして演歌や浪曲とは基本的に「ストーリーを語るための音楽」だ。

すると、簡単な言葉で物語を語ろうとすると。つまり童話の言葉は自然に、
J−POPのリズムに近付いてくると言うわけだ。

ちなみに現在J−POPだって、頻繁にドラマの主題歌として使われていたり、
ドラマを内包したラブソングが多く歌われたりと、
「ストーリーを語るための音楽」と言う用途は失われていないように見える。

ちなみにケータイ小説とも同じくらいのリズムなんだが、あれはむしろ
ケータイ小説の方がJ−POPの歌詞を参考にして文章を書いているから。
似ていて当然なんだね。

……しかしこれ「小説技術メモ」じゃないよなぁ。
と言うことに書いてから気が付いた。まっ、良いか。
posted by はまさん at 00:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 感想的(詩)

2006年12月30日

『日本人を元気にする ホンモノの日本語』雑感、引用

 大岡信さんの対談集『日本人を元気にする ホンモノの日本語』を読了。

 大岡信さんは日本を代表する詩人です。かつてボクはこの方の授業を受けたことがありまして。当時は妙な学生がいると思っていらしただろうなあ。
 詩論や文学論よりもむしろ、芸術論や創作論、そして「ことばとは何か」みたいな考えについて。ボクは大岡先生から、かなりの影響を受けています。今回も、この本からたくさんのものを頂かせてもらいましたよ。
 詩だからとか小説だからと言うのではない。「ことば」に携わる人間であれば、読んで損はないと思いますよ。

 以下、読んでいて気になった部分を、いくつか引用してみました。
「ある人がことばを受けとめて、それを自分のものにできるかどうかは、その人の心に潤いがあって、ことばに対する張力が強いかどうかが重要な点なんだと思います」
「心というものを実体のあるものと想定すると、その周辺に、目には見えないけど、潤いのある状態がつくられている。気持ちのゆとりがなくなって心が沈んでくると、その潤いがすうっと消えていく。楽しい気持ちになって心が高揚してくると、汗が出てくるのと同じように、心の周辺にも水気が出てくる。水気が出てくれば、ほかのものとのあいだに張力が働いて、すっと吸い付いてくる」

詩の言葉は、そんなに神秘的なものではないですね。自分が言いたいこと、感じていることを言えているときには、「これは言えている」と自分でも満足できるような状態になると、これは100%満足できる。10%、20%ぐらいのところで止まっていますということではなうて、「100%か0%か」という感じになってしまう。

大岡 この場合(=日記)、「自分がきょうはこんなことをしました」ということは一切書かないんですよ。自分のやったことなどは書く必要がないので。

金田一 そうすると何を書くのですか。

大岡 考えたこと。日記というのは非情に簡単な、文体練習の基本的なことをできるわけです。それは日記帳を使うけれども、実際は日記ではなくて、考えたことを、一日で書かなければ、翌日も続きを書く。

 中でも特にボクが感銘を受けたのが、大岡信さんの著書『うたげと孤心』(集英社/1978)の内容に関する説明でした。
 「合う」ということが、日本の詩歌の伝統としてある。二人で歌を贈りあうというところから始まって、素人で集まって共同制作をする、皆で歌合わせをする、また時間を越えて、昔の歌と唱和する。そのような形の制作態度がある。
 しかし、それだけでいいわけではなく、作家は一方で孤心に還らなければならない。自己に向き合い、孤心に徹することの出来る人が、優れた作品を残すことができる。しかし、自己に閉じこもってばかりいると、皆と協調するだけではつまらないことになる。うたげと孤心の緊張感を張りつめることの出来る人が、すばらしい作品を残したのだ、という。

 と言うことで早速、amazonで『うたげと孤心』を注文しようとしたものの、在庫切れでした。でも我が町の図書館に蔵書されているのを発見。だが年末年始は休館でしたとさ。(←オチ)

 orz

posted by はまさん at 00:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 感想的(詩)