2013年08月31日

海の向こうでまた戦争が起きそう

 世界史を俯瞰するに、国を守る兵士というのは社会的地位が高いものだった。それも当然で、兵士は命を賭けた戦場で戦ってもらわなくてはならない。臆病では兵士の力量に関わる。だから兵士の社会的地位を高くすることで、帰属意識を高め、士気高揚する。兵士の士気イコール、軍の強さだ。
 逆に、兵士への給金を渋った国というのは弱くなるもの。士気も高くないし、貧乏だからすぐ掠奪を行い、規律を守らないからだ。ならばと傭兵を雇えばどうなるかというと。マキャベリにいわせれば、傭兵はすぐ裏切るんだから止めとけ、ということになる。

 さて、海の向こうでまた戦争が起きそうだ。
 起こすのはアメリカさん。いつもの話だ。

 経済が不景気になると、戦争が起きるものだ。これは相手の国から資源を奪って一発逆転を狙おうという他にも理由があって。例えば戦争が起きれば、武器商人にとっては在庫一斉セールということになる。
 敵国から奪った資源で儲けるのも、武器を売って儲けるのも、金持ちだ。だから金持ちは戦争が起きて欲しいと思っている。

 ならば国民はどうか。戦争で死ぬのは国民だ。だから、あまり戦争はしないで欲しい。
 けど一方で、戦争が不景気をひっくり返す一発逆転の手段であることも、国民は案外と知っている。
 また戦争は徴兵という雇用を生む。貧乏人の出でも兵士になれば、社会的地位が高くなる。戦争は立身出世の手段でもあった。
 不景気で飢えるくらいなら、自分以外の誰かが戦争で死んでくれれば、景気が良くなるのに。そう思う国民の比率が高くなれば、サックリと戦争が起こる。

 さて現代の戦争はどうなったか。
 最近の国家は人件費カットのため、兵士を雇いたがらなくなった。でも戦争はしたい。代わりの手段がアウトソーシングされた兵士だ。簡単にいえば、会社の社員に戦争をしてもらう。といっても、死亡及び傷害保険すらない派遣社員だ。
 つまりは食うに困る貧乏人を薄給で縛り、戦場に送り込んでいるわけだ。

 おかげで戦争が起きれば起きるほど、金持ちは更に儲かる。だが実際に戦争をする兵士は貧乏のまま。社会的に尊敬もされない。下手すれば死ぬだけで、残された家族にも金が残らず丸損。おかげで格差は広がる一方。
 だから金を稼ぐためにも、貧乏人は戦場へ派遣されなけれなばらない。貧乏人は経済を理由に、奴隷のように戦場に赴いている。

 そんな兵士に高い士気が持てるわけがない。だから最前線ではトラブルが多発している。そりゃあ貧乏なんだから掠奪のひとつもしたくなるさ。
 なので国としては人件費削減しながら戦力を保つために、無人兵器を投入することとなった。だが人が必要なくなったわけではない。戦争というのは最終的に、歩兵が必要となるものだからだ。
 それに士気の低下は別のところで問題を起こすようになった。当然ながら民主国家では戦争を起こすにも、国民の支持が必要になる。でないと戦争を起こす前に、指導者が国政の場から引きずり下ろされてしまう。

 兵士とは結局、普通の国民だ。兵士を蔑ろにするということは、民意を蔑ろにするということでもある。世界史的に。
 現代、特にアメリカとは、ナチス譲りのプロパガンダ技術に長けた国だ。煽動により国民の不満というのは、ある程度、逸らすことができる。けど、あんまりに金持ちの意見ばかり聞いて戦争を起こしまくり、格差まで広げちゃ、そのプロパガンダも通用しなくなる。
 腹が減れば帰属意識だって薄れるというものだ。

 現代とは過去を否定するものではない。過去の上に現代がある。だから戦争に勝つには、高い士気が必要となる。これは質的な変化こそ起きるものの、真理としてなくなることはない。
 けど金持ちにしてみれば戦争とは経済活動の一環なのだから、兵士に金を払いたくない。腹が太らないなら国民は戦争なんてしたくない。これはもう……戦争が起これば景気対策になる、という前提が崩れつつある前兆なのだとボクは考える。
 もはや手段は出尽くした。既に一発逆転の手段なんて存在しない。士気高揚のプロパガンダも古臭くなって、飽きられている。フロンティアはもうないのだ。

 そう考えると近代とは誰もが一発逆転を狙っていた、厨二病みたいなものだったのだろうね。
 さっさと卒業して、真っ当な商売しろよ。
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2011年03月16日

東北地方太平洋沖地震について

 最初に知ったのはtwitter、そしてラジオのニュースでした。今でもテレビの報道を見るたびに絶句してしまいます。

 実はボクも昔、理不尽な力でもって家ごと失うという経験をしたことがあります。ですが、そんなこと今回の地震の比ではありませんし。
 他に……何か書こうとも思ったのですが。相応しい言葉も見つかりません。自らの無力さに歯がゆい思いをするだけです。

 地震で犠牲になった方へは、お悔やみ申し上げると共に、被災者の皆様には一日でも早い復興が行われますことをお祈りしております。
posted by はまさん at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会的

2010年05月02日

学生気分/社会人の心得/職人の心意気

もしも、汚いドブ川の中に落としてしまったダイヤを探せ、という仕事を命令されたとしよう。

まず中高生のうちは、社会的に守られている。だから考えが甘い場合が多い。仕事を果たす前から、もらう対価のことを主張してみたり。そもそもキタナい、クサい、キツいという理由で仕事をやりたがらない。

これが大学生になると、スコップを用意することを学ぶ。大学というのは、そういうことを学ぶ場所であるわけだ。だが社会人になると、悠長にスコップを用意しているうちは、「学生気分だ」と叱られたりする。

社会人になると、スコップを用意する暇が与えられるとは限らない。命令が下ったら、一張羅を着ていても、すぐさま素手でドブをも掘らなくてはならない。理不尽かもしれないが、社会人とはそんな感じのものだ。

そして会社の中に必ずひとりはいる、仕事中毒者[ワーカホリック]の人だと。無尽蔵にサービス残業をやる。他人にもサービス残業を強要したりする。あげくは、ドブの中にダイヤがないと知っていても、ドブさらいを延々とやっている。会社にとっては便利だろうが、同僚にとっては迷惑な存在だ。

だが問題なのは、職人と呼ばれる人々だ。職人ともなると、手の皮が厚くなり、素手で難なくドブさらいができるようになる。しかも勘が鋭くなり、一発でダイヤの在処を当てたりする。すごい。

だけど……ボクは時々、職人という人種にツッコミたくなる。いや、ここにスコップを用意してるんだから使えよ、と。あげく、そうツッコんだりすると逆ギレしたりするんだよなー。
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2009年08月27日

誰に投票する? その2

 とある地元政治家の、決起集会に行ってきました。

 ああいうのは基本的に、ボクの住んでいるトコは田舎ですから。まず近所の人に出てくれないかと、各家庭ごとに頼まれるわけです。すると近所付き合い柄、断ることもできませんから。結局は誰かが行くことになる。
 でも今回に関してボクはその政治家について調べると、どうも中々に良い政策に関わっている。そこで応援しようかな、という気になっているところへ、決起集会に出てくれと頼まれた。
 だったら丁度良いや、と参加することにしたのです。

 しかし、考えてみると。
 あの政党はどうとか、この政策はどうとか、その政治家はどうとか。人との政治談義で、否定したり賛成したりすることはあった。でもそんな日常会話で誰が良い悪いと話してみたところで、選挙の趨勢が変わるわけもなし。
 応援するのなら、きちんと応援っぽいことをやらないと……どうも自分が口先だけ人間になるというか。発言に責任を持つべきではないか、と思ったのです。

 本当は、そういう場へ行った経験が一度もないので、物見遊山気分なのですけどね。

 ただ知り合い相手にではあるが、政治に関する日常会話を通じて、ボクひとりでも10票は増やしたはず。別に本気出して応援しているわけではないので、大したことはないのだけど。
 でも、何もしないよりはマシだ。

 ……で決起集会。人が多かったー。こんなに人がいるのなら、やっぱり自分ひとりが参加したところで意味はない気がするけど、それは置いておこう。
 しかし勉強にはなった。政治って人脈だわー。

 だが、どうしても考えずにはいられない。これも書き手としてのサガなのだろう。
 自分に原稿を手直しさせてくれたら、もっと効果的になるのになあ。

 アメリカでオバマ大統領が選挙中に求心力を得たのは、とある若いスピーチライターの力があったからだという。
 別に、自分でも第二のオバマを作り出せるぜとか自惚れる気はないけれど。やはり小説も選挙運動も、言葉によって人の心を掴むことが必要になる。ならば技術的・戦略的にはツッコミ入れたくなるんですよねー。

 「あるあ……ねーよwww」だって? いや、いや。もしもあなたが文章書きで、そうした選挙運動に参加したならば。きっと同じように考えるはずですから。
 ま、政治をやることは絶対にないけどね。文章を書く方が面白いから。
posted by はまさん at 23:24| Comment(4) | TrackBack(0) | 社会的

2009年08月26日

誰に投票する?

 さあ選挙が近付いてまいりました。皆さんは、どうやって投票する候補を決めていますか?
 まず思いつく基準としては、政党。それも政党のマニフェストが参考になりそうですね。

 ですが、どんな法律にも功罪の両面があるものです。どんな善法でも、迷惑する人は必ずいるし。どんな悪法でも、なければ困る人が敵わずいるもの。政治とは、全ての人を満足させることは出来ないものなのです。
 だから、どんな善法でも欠点を探して批判すすことは可能だし。どんな悪法でも、大義名分があったりする。なのに、功罪の片方のみを強調している人がいたら。それはロビー活動である可能性が大きいので注意してください。
 あなたは騙されているかもしれませんよ。
ロビイング【lobbying】
《「ロビーイング」とも》政党と院外利益団体を結ぶ役割を演ずること。議案通過運動。
(yahoo辞書より)

 政党はマスコミを通じて、例えば「政権を交代しさえすれば、世の中は良くなる」とか「構造を改革さえすれば、世の中は良くなる」とか。何かを一変させれば、一気に世の中が変わるようなことを騒ぎ立てています。
 ですが法には功罪の両面があるものだから、全ての人が満足することはない。ゆえに、政治の舞台で何かが劇的に良くなる、なんてことは絶対にありえません。……悪くなることはありますけど。

 政治とは基本的に、プログラミングで例えると、終わりないデバッグの連続なのですね。あちらを立てれば、こちらが困る。こつらを立てれば、そちらが困る。
 世の中を良くするには、ケースバイケースで、細かく対応するしかないのです。

 ところが、やはり大衆も人間ですから。何かが一気に変わって、全てが良くならないかと考えてしまう。そうして、分かりやすい方へ、声の大きい方へ流れがちになるのですが。
 しかし、党のキャッチフレーズでは、決して世の中は良くなりません。

 ……しかも中には、選挙直前になってから、都合の悪いマニフェストを隠してしまったり。多くの支持者が見ることになるマニフェストと、あまり注目されない党の方針とで、内容が違っている党までありますしね。
 でも最近はインターネットがありますから。簡単にログを調べることもできるでしょうし。そうした《過去のマニフェスト》に関して言及しているブログも、参考意見になるはずです。

 というわけで、投票する候補を決めるのに、党のマニフェストは参考にならない場合が多い。ならば、有権者はどうすれば良いのか。
 実は政治家とは、党では動かないものです。派閥で動いています。だから、同じ党でも反対派と賛成派が、平気で同居していたりする。そんで派閥を通して裏工作をし、他の党が法案を通す邪魔をしたりするんですね。

 だけど派閥なんて、調べたって何が何やら、素人には分からないものです。
 そこで参考になるのが、支持母体です。もしくは、所属団体か、参加している勉強会。

 政治とは根本的に、利権の引っ張り合いです。それ以外の何者でもありません。いや本当。
 貴族を無視できないほど、王の権勢が弱まったから、絶対王政はなくなったのだし。貴族制度が崩壊し、いわゆる大衆が力を付けてきたから、国民に選挙権が与えられるようになった。
 基本的人権だって一応は、利権の一種なのです。昔は皆、農奴だったりするのですから。でも今では、全ての国民に基本的人権を保障した方が得だから、人権という利権を与えられるようになった。
 そうやって、利権が多くの人に拡散すらば《再分配》と呼ばれるし。逆に、一点へ集中すれば《格差化》が起こる。全ては利権の問題であり、理念とかどーでも良いわけだ。

 というように、政治家の仕事とは、そもそも利権誘導に他ならないのです。だから政治家に何らかの利権が絡むのは仕方ない。というより利権と聞くと、悪いイメージしか湧きませんが、そうではない。
 問題なのは、その政治家が自分たちのために利権を持ってきてくれるかどうか。いわゆる《再分配》をしてくれるかどうか、が重要なのです。
 すると選挙とは、自分が得するような利権を持ってきてくれる政治家を選ぶべきだ、ということになります。

 ちなみにそう考えると、マスコミも利権団体のひとつだということに気が付きます。ありゃ別に、情報の公平性を守るためのボランティア団体とかではない。単なる、いち企業ですからね。

 例えば今回ならば。某大物政治家O氏。彼が昔、まだ与党にいた頃の話です。某キー局のテレビAに対して、地元へ地方局の開設を口利きしたことがあります。ですからテレビAは……というよりA新聞はO氏に頭が上がらなかったりします。
 その一方、ここ最近やたらと叩かれている政治家さんがいますよね。しかも下らない些細なことで。あの大臣ですよ。ああ、そう。あの方、実はマスコミに対して広告税を導入しようとした。ですがそんな税を導入されたら、マスコミは湯水のごとく金を使えなくなってしまいます。ですから一大キャンペーンを組んで、《降ろし》運動をしてみたりね。


 特に日本では、公平性を欠いた報道を行っても、少々なら怒られないようになっています。だから誰がいったか。「マスコミが誘導する通りの政治になると、日本は必ずロクなことにはならない」などという格言もあったりします。
 考えてみると……実際、さきほどのA新聞って、過去にも《椿事件》という《実績》もあるしなー。

 ですから、このような表現には気をつけてください。マスコミがあなたを騙そうとしている恐れがあります。
《例》
「我々国民の声」
「独自の支持率調査によると」
「……と思われる」(誘導している)
「……なのではないか」(願望が入っている)

 ならば結局、我々は何を基準に投票する相手を決めれば良いのでしょうか。頼りになるのは自分だけ。自分のみを守れるのは、自分だけです。
 選挙前に、自分が投票しようとしている政治家のことは、自分で調べてみましょう。Google検索だけでも、充分に様々なことが分かります。
 投票しようとしている政治家が、誰のため、何のために、働いているのか。支持母体に、所属団体。さもなくば参加している勉強会。これだけ知れば、充分にその政治家というのを理解できます。

 まだ選挙権を持っていない未成年の方に対しては。自分の選挙区にいる政治家のことを、自分でも試しに調べてみてください。そして、調べて分かった内容を、近くの大人へ教えてあげましょう。
 マスコミとか、風聞には頼ってはいけません。ましてや「何となく」とか「試しに」などという基準で投票してしまうと。その風聞を流した当人にとって得するだけ。損をするのは、他の誰でもない。あなた自身だということになってしまいかねませんよ。

 正直……ボクだって現行のシステムで国民の声が政治に反映されるだなんて、信じちゃいませんよ。でも、投票しなければ《その他大勢の声》に組み込まれてしまうのも確か。そして得するのは、《その他大勢の声》をプロデュースしている、一握りの人たちだけです。

 だから選挙、必ず行けよ。
posted by はまさん at 23:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会的