2010年05月18日

「将来、誰でも十五分は有名人でいられるだろう」

「将来、誰でも十五分は有名人でいられるだろう」
アンディ・ウォーホル
 そしてウォーホルの語る未来は、メディアとネットワークの発達により、今まさに到来している。ゆえに、なかなか示唆深い言葉になっていると思われる。

 例えば、十五分なら誰でも有名人になれるのなら。だったら十五分以上、有名人でいることはできるのだろうか? 恐らく、誰でも有名人になれる世の中で、有名人で溢れてる世の中だからこそ、十五分以上も、ずっと有名人でいることは逆に難しくなるのではないだろうか。
 つまりプロの領域が、アマチュアによって浸食される世界だ。プロでいることは昔より、遙かに難しくなっている。だがアマチュアとして、十五分だけ有名人になるのは可能であるとするなら。
 だったら創作を続けるにしても、どこを目指すべきか。ターゲットが絞れてくるのではないだろうか。

 またボクは「十五分は有名人でいられる」という辺りに、「死ぬことと見つけたり」という武士のような心意気を見るのだ。
 中世の武士や騎士たちは、幼少の頃からずっと戦士階級としての教育・訓練を受ける。そしていざ戦争となれば剣を持ち、死ぬこともある。死んでしまえば、今までの教育も訓練も生涯の全てが御破算だ。だが戦士はその斬り結ぶ一瞬のために、生涯の全てをかけて研鑽を積む。

 そんな「死に物狂い」になって生涯の全てを、たった一度の戦いにかける。表現者として、そのような生き方もアリではないかと思うのだ。
 生涯をかけて積んだ研鑽を、たった一作品に込める。結果、たった十五分だけ世界中の人々を驚かせることが出来たとしたら……それはそれで表現者として、粋な生き様なのかもしれない。
posted by はまさん at 23:24| Comment(3) | TrackBack(0) | ことば

2009年05月26日

ことば:会話のドッジボール

 修行時代にも良くいわれたものだし。作劇書の類にも、しょっちゅう「会話のキャッチボールをさせよう」なんて出てくるのだけれど。
 今や「会話のドッジボール」だなんて言葉が存在するのだね。いやはや。「ツンデレ」もそうだけど、オタクの集合知的な造語能力とは大したものだと痛感させられる。

参考:http://dic.nicovideo.jp/a/%E4%BC%9A%E8%A9%B1%E3%81%AE%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%B8%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB

 しかし改めて自分でも気付かされた。会話というのは、キャッチボールさせる「べき」だと、知らず知らずのうちに信じ込んでいたのだろう。あえてキャッチボール「させない」ことによる効果を狙うなんて、考えたこともなかった。

 こうして、「キャッチボール」の対となる概念として「ドッジボール」なんて新語が出来たからこそ分かる。「会話のキャッチボール」とは、ひとつの技法に過ぎなかったのだろう。
 だから今度は、「会話をキャッチボールさせない」=「会話のドッジボール」という新技法を我々は手にしたことになる。

 もう既に無意識で「ドッジボール」的な会話を使っている人はいるだろうが。今度は「会話のドッジボール技法」として、我々も意識的に使って行くべきなのかもしれないな。
posted by はまさん at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2009年04月16日

「技」の一字

「技」という漢字を見つめているうちに、改めて気が付いたことがある。
「技」とは「手を支える」と書くのだね。
この場合の「手」とは、つまり「作業」の意になるだろうが。
つまり「技術」とは「作業を支えるすべ」という意味なんだろうな。

一応、技術派を自称しているボクとしては、「技術のなんたるか」
を知れた気がして、何だか嬉しくなってきたわ。フヒヒ。

と、それだけの話です。はい。
posted by はまさん at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2009年03月07日

ことば:ハンロンの剃刀

ハンロンの剃刀(ハンロンのかみそり)とは、オッカムの剃刀の言い替えとして使用される言葉。あるいはフィネグルの法則の一定理である。

「無能で説明できる現象に悪意を見出すな(直訳:まさか、愚かさによって充分に説明できるものを悪意のせいにする必要なんかありません。)」という言葉で説明される。

この言葉の起源は不明である。。
(wikipediaより)

あまりに便利すぎる言葉だったので思わずメモ。
喩えるなら「俺がこんなに不幸なのは、社会が悪い」とか
「今回は運が悪かった。本当は成功していたはず」とか
「アイツさえいなければ、俺が勝ってたんだ」とか
「やれば出来るので、明日から本気出す」とか
そう言うことか(笑)

使えるな、これは。
posted by はまさん at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2009年02月04日

ことば:クリティカル・シンキング

批判的思考(ひはんてきしこう、英:Critical thinking)とは、特に欧米諸国で主流となっている物事や情報を批判的に解釈する思考パターンのこと。単にクリティカル・シンキングと呼ばれることも多い。対象物を見聞きしたままに受け取るのではなく、客観的なおかつ分析的に理解される必要がある。

「批判」という言葉は反対する、受け入れない、などのイメージから「否定」という言葉と同義で用いられるケースが少なからず存在するがここでいう批判とは情報を分析、吟味して取り入れることを指しており客観的把握をベースとした正確な理解が必要とされる。「否定」という言葉はその情報自体を拒絶するという意味合いが強くまた主観的要素を含んでおり「批判」という言葉の意味とは隔たりがある。
(wikipediaより)

 IT系のニュースを読んでいれば、しょっちゅう出てくる用語なのだけど。文脈だけで読んでしまい、きちんと意味を把握してなかったのでメモ。
 「否定ではない」と言うのは、大切なところだと思う。

 ところで……文学批評おいても、この「クリティカル・シンキング」は重要な問題となるはず……だよね?
 ボクは文学の分野で「クリティカル・シンキング」と言う用語が論じられているのを、寡聞にして知らないのだけれど。もしかして、どこかで既に取り上げられている?

 いや。「作品を批評する際に、相手を否定するな」と言うのは、小説修行時代に先輩から教わったことのひとつでさ。今でも重々、心に置いてあることなのよ。懐かしい。
posted by はまさん at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば