2011年01月19日

読了『マンガ脳の鍛え方』

 創作論に関する、ジャンプ作家へのインタビュー集。ただしジャンプ作家たちの答えはどれも案外とシンプルなものばかりで、もしかすると読んでいる人の中には拍子抜けしてしまう方もいたのではないだろうか。
 だがボクは違った。

 日本は世界に冠するエンタテイメント超大国だ。中でも少年ジャンプといえば、まさしく頂点にふさわしい存在。少年ジャンプ作家だということは、エンタテイメント世界においては、例えば金メダリスト級のアスリートにすら近いといえるだろう。
 そして基本というものは、使う者によって運用のレベルが変わる。初心者にとって基本は単なる口うるさい約束事に過ぎないだろうが。達人にとっては奥義ともなるものだ。

 例えば素人が「マンガに出てくる女の子は可愛い方が良いよね」というのは容易い。だがジャンプ作家が「マンガに出てくる女の子は可愛く描くよう意識しています」といった時。その背景には千万もの語られない言葉が、隠されている。
 同じ言葉でも、決して同じに考えてはいけないのだ。

 だからボクはこの本を、大事に大事に読んだ。一の裏に圧縮された十や百を知るために。おかげで付箋だらけにしましたよ。

posted by はまさん at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 感想的(マンガ)

2009年10月19日

漫画『ひまわりっ 健一レジェンド』から引用

 いま『ひまわりっ 健一レジェンド』というギャグ漫画を読んでいます。ええ、面白いですよ。ネタのチョイスも良いのですけど。また小芝居のさせ方が素晴らしい。
 ところで、11巻でギャグとしてではあるけど、なかなかに含蓄のある内容があったので紹介させてもらいます。

 アシスタントをしながら、少女漫画家を目指す、だがコギャル系なエミリの登場。そのエミリのマンガを読んだ、キャラクターたちの反応から引用します。
「こ……これは……」

「……ああ……確かに……
ここ10年よく見る……『彼氏も友達もいるのに
なんとなく満たされない若者系 アンニュイ漫画in都会』だ!!
若者がみんな首にグルグルと布を巻いとる世界観や!!
バンプオブチキンみたいな男が彼氏なんや!!
お前 こんなもん先人がやり尽くしてるだろうが!!
こんなん描いてちゃ いつまでたっても
デビューできないこと うけあい!!」

 うん、あるある(笑) ボクも覚えがありますよ。よ〜くね(目線を逸らしながら)。
 ならば、どんなマンガを描けば良いのか、というのが……。
「いいかエミリ 答えのないマンガじゃダメなんだ
なぜなら今が全てにおいて答えのない時代だからだ
みんな毎日 必死に答えを探してる……
でもなかなか見つからない
だからマンガで『答え』を出してやるのが作家として
モストインポータントな務めなんだ!! わかるか!?」

「よくわかんないけど かっこいいっス!!」

「答えとはなんだ!! エミリ!!」

「わかんねーっス!!」

「教えて欲しいか!!」

「欲しいっス!!」

「答えってのはなァ……」

 その答えというのが……
「細木数子とか 瀬戸内寂聴だよ!!!
悩んだり迷ったりしてる人間にズバっと言うわよ!
みたいな主人公出しときゃ 連載なんてすぐ取れらぁ
1秒でドラマになって 3秒でスペシャルドラマになって
1年たったら映画でリターンズじゃあぁ」

「すげぇっス先輩!!! 自分そんなの考えたことなかったっス!!
自分少女マンガは恋愛マンガしか
描いちゃダメだって思い込んでたっス……
だからいつも自分と元カレのこととか……
その前の彼氏のこととか描いてて……」

「そんなマンガ地球上の誰一人として読みたかねぇよ!!」

「自分も読みたくないッス!!!」

 うん、分かります。確かにそのとーりて感じっス。
 自己表現がどうとか、人生の悩みがどうとか、テーマ性がどうとか、確かに「そんなマンガ地球上の誰一人として読みたかねぇよ!!」ですよねー。

 ……うぎゃあああああ orz

 ボクにとって、この部分だけ異様に強く印象が残ったので、勝手に紹介させてもらいました。が、身に覚えのある人も多いのではないでしょうか、ね?
 もちろん、このマンガ自体も面白いので、お薦めですよー。

posted by はまさん at 23:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 感想的(マンガ)

2008年09月26日

漫画『新・自虐の詩 ロボット小雪』 〜生きる意義の向こうにある今〜

 先日紹介をさせてもらった『新・自虐の詩 ロボット小雪』が完結して、単行本化されました。そこで、完結した上でのレビューを行って欲しいと言うリクエストが来たので、試しに挑戦してみます。
 ただ、これのレビューをリクエストって、「なんたる無茶振り……ッッッ」と最初は頭を抱えました。正直、すっげえ難しい作品となってしまっているのですよ、これ。
 中途半端なものになっていたら、申し訳ありません。

 そしてレビューを書くに当たって。『自虐の詩』を「旧作」と、そして『新・自虐の詩 ロボット小雪』に「新作」と言う略称を使わせてもらいます。御了承ください。

 まず『自虐の詩』とは何なのか、と言う話からさせてもらうと。「自虐」と言うタイトルからも分かる通り、基本は「自分の不幸」に関する物語だと考えています。だがその不幸とは、作品を読んでいる我々にも通じるものがある。不幸な人間が、不幸の物語を読む。ゆえに「自虐」の物語なのだろうと。
 しかし、物語の登場人物たちは、その「自分の不幸」とは何かと言う正体に気付き、そして生きる意義を見出してゆく。それが『自虐の詩』の基本プロットであるとしましょう。
 この意味では旧作も新作も、同じ構造をしています。つまり両作品は、同じテーマについて描かれた物語である。とするならば一体、旧作と新作にはどこに差異があるのでしょうか。

 旧作における不幸とは、単なる貧乏でした。自らを不幸にしていたのは、自分自身であったのですね。
 ならば対して、新作における不幸とは何か。実は新作の序盤において、登場人物たちは自らのことを不幸とは考えていません。そう。新作における不幸とは、「自分が不幸であることに気付けない不幸」なのです。
 ここに旧作と新作における最大の差異があると言えるでしょう。

 そうして物語が展開するにつれ、新作も旧作と同じように、登場人物たちは自らの生きる意義を見出してゆきます。
 ここで本当なら作者のゴーダさんも、旧作と同じように「めでたしめでたし」にしたかったはずなんです。でも、同じ「めでたし」ならば、同じ「自虐の詩」の名を冠した作品を書く意味がない。
 この先に、ゴーダさんが旧作を書かれた昔とは事情が変わってしまった。旧作以後の「今」だからこその問題が、新作に籠められているのです。

 ネタバレになるので、ラストがどうなったのか。明確な説明はしないでおきます。と言うわけで、曖昧な言い方になって申し訳ないですが、既に全編を読んでしまった人なら分かると思います。
 ラストで小雪の優しさは「あんなこと」になってしまいました。そして小雪を開発した拓郎の母は、ある考えに至っています。

 それはつまり、人が人として当たり前に、優しくあろうとすることすら、世界は許してくれないと言うことです。
 新作でも旧作と同じように、登場人物たちは生きる意義を得ました。ですが、現代の社会情勢では、「それだけ」では「めでたし」になれない。苦悩は苦悩のままに放り出されて、何も解決されません。

 そして、物語で描かれる「優しさすら許されない世界」とは、我々が今いる、この世界のことだ。そうして我々読者は、ゴーダさんの物語から裸のままでリアルへと放り出されることになる。
 ゆえに新作の読後感と言うのは、実に「気持ちの悪い」ものとなっている。だがそれもゴーダさんの誠実さゆえだとボクは思う。

 確かにあの半ば投げっぱなしな終わり方は、作劇法[ドラマツルギー]としては反則にすら近いかもしれません。しかし作家として誠実であろうとすればするほど、ああせざるをえないことに気が付きます。
 物語に唯一の正解なんて存在しません。ましてや新作で描かれた問題は、いまだ解決するすべすら見つかっていません。だから、あれはあれで構わなかったのではないか、とボクは考えるのです。

 そうすると、あのラストシーンは、まるで祈りのようにも思えてきます。
 ただし「受け継がれゆく魂」と言う意味では、やはりここでも新作と旧作とでの構造のクロスオーバーが起こっています。
 本当に凄い作品だ。『自虐の詩』って……。

 と言うことで、ボクはゴーダさんからの問いに、何も返答できない。いや、もちろん誰にも答えられない類の問いではあるのですが。ですから、新作のレビューを書くのは「無理」だったのですね。
 いやもう、自分が不甲斐なくって、怒りの余り樹木と言う樹木を引っこ抜いてしまいたい気分です。(by ヨシイエ童話の世直し源さんより)
 仕方がないので、こうして苦肉の策として、分析と解説に終始させてもらいました。いかがだったでしょうか?

 最後にひとつ。当レビューを書くために、単行本を読み直していて、気が付いたことがあります。
 小雪の他に登場するもう一体のロボット亜紀(もしくは美穂)。彼女は最新型なんですよね。と言うことは、小雪と同型機ではない、と言うことになります。
 すると……? と後は皆さんで察してください。

posted by はまさん at 00:07| Comment(0) | TrackBack(1) | 感想的(マンガ)

2008年02月10日

漫画『新・自虐の詩』 〜哲学的なる物語の加速〜

 『月刊まんがくらぶ』(竹書房)と言う四コマ漫画雑誌で業田良家さんが現在、『新・自虐の詩』と言う作品を連載なさっています。
 ちなみに『新』と言うからには、旧い『自虐の詩』もありますが。これは最近、映画になっております。説明しておくと、旧『自虐の詩』は四コマ漫画の最高傑作とまで言われているような作品です。
 マジお勧め。

(そう言えば映画を見に行くの忘れてた……orz)

 恐らくは我々の住む時代から、近い未来の話。
 主人公の(たぶん)男子高校生は、女性型恋人ロボット(つまりはセクサロイドだ)の小雪と共に、タルい毎日を送っている。この時代、みんな恋人ロボットを持っており、誰も何も疑問に思ったりしない。主人公も株で稼いだ小遣いで小雪を購入したものの、もっとカネさえあれば、もっと高性能のロボットを買えたのになあ、などと愚痴をこぼしながら日々を送っている。
 主人公たちが住んでいる町の川向こうには、スラムが広がっており、毎日のように何らかの暴動や事件が起こっているらしい。だがそれも、主人公にとっては別世界の出来事としてしか見えない。

 ……ここまでの連載分を読んだ限りで。ボクは、また「バーチャルな人間関係は駄目ですよ、人と人との触れ合いが大事なんですよー」とか言う、ベタな物語になるのではと予想していた。
 しかし、あの業田良家さんが、そんな簡単な物語を綴るはずがなかったのだ。「哲学的な物語」を描かせたら、業田良家さんほどの方は世界にも他にいない、とボクは思っている。
 ただしここで問題なのは、「哲学の物語」ではなく、「哲学”的”」だと言うことね?

 主人公のタルい毎日をギャグ混じりに描いていた物語は、徐々にスピードを早めながら地盤沈下を起こす。
 ある日、株式市場が暴落したのだ。多くの人々が大損をする中、主人公とその家族も破産してしまう。そうして一家揃って、今までは別世界であったはずの「川向こうのスラム」へ追いやられることになる。
 主人公は小雪を友人に預ける。いつの日か帰ってきて、返して貰うために。ところがその小雪に、異変が起きる。ロボットであるはずの小雪に、人としての心、優しさを持つ心が宿ったのだ。

 スラムで主人公たち一家を待っていたのは、劣悪な環境と、過酷な労働だった。主人公一家はすぐに病気になるが、スラムではろくな医療も受けられない。
 その一方で、主人公の知り合いだった人々が、人としての絆を失ったがゆえに、次々と窮地に陥る。寝たきり老人は放置されて死にそうになる。男性型の恋人ロボットをはべらせていた女性は、人との触れ合いを求めようとして、夜の町に落ちる。そしてヤクザにつかまり、クスリ漬けになって売春をさせられる。
 人としての優しさを持ったロボットの小雪は、そんな、自分が好きだった人々を助けるために奔走しはじめる。人には持ち得ない、ロボットとしての行動力で。ロボットゆえの純粋さで。だが誰よりも、人間らしい優しさで。人のために涙を流しながら。
 ここで物語は転回を起こす。人間たちが自ら人間性を壊していった代わりに。バーチャルな存在であったはずの小雪だけが、人としての尊さを持った存在となる。

 そうして今号、2008年の3月号で。主人公は同僚のおっちゃんと話していて、世界の正体を思い知らされることとなる。
「富を作り出すには、3種類の方法があるべや。ひとつは地球から搾り取る方法。石油・資源・水・作物、すンべて地球から取り出したものだべ? あとは人間。俺たち下っ端の人間から時間と労力を搾り取るべさ。最後に未来の子供たちから搾り取る。国の借金、自治体の借金……。手にするのは現在のお金持ち、支払いは未来の子供たち……」
「おじさん、なんでそんなに詳しいの」
「そんなんだれでも知ってるがな。知っとるけど、どうにもならんわ」
「世界の株式市場では一日に四千兆円のお金が動いている。ところがだ、世界の実物経済は一日十兆円あれば済むらしいで。どう思う?」
「さあ」
「世界中の人間をちゃんと食わせて、医療を受けさせて、フツーの生活をさせるたけの富は充分作られてるってゆうことや」
「じゃあなんで、そうしないんですか。世の中来るってますよ」
「わかっちゃいるけど、やめられまへん。このおっちゃんも昔は資産家やったんやで〜」
「バカこのまだ返り咲いてやるっぺさ」
「狂っちゃいるけど、やめられないか」

 漫画内は近未来を舞台にした、いわゆるファンタジーなのだが。……この会話の内容が指しているのは、いまボクたちが住んでいる、この世界のことだ。

 と、ここでようやく、『新・自虐の詩』と言うタイトルの意味が明らかになった気がする。
 旧『自虐の詩』がどのような物語かと言うと、簡単に言って、すげえ貧乏臭い話だ。『新・自虐の詩』が開始した当初、その余りのオシャレ生活ぶりに、なんでこれに『自虐の詩』の名が冠されているのか。ボクは読んでいて正直、疑問だった。
 だが旧『自虐の詩』のテーマをあえて説明するとすれば、それは「幸福とは何か」そして「人生の意味とは何か」と言うことになると思う。

 旧『自虐の詩』では貧乏で、とてもではないが幸福とは言えそうにない人の姿が描かれていた。ところが『新・自虐の詩』では徹底して、自らの欲望を充足させようとして奔走する人々の姿が描かれる。まるで対比するかのように。
 ならば、なぜ『新・自虐の詩』の登場人物たちは、自らの欲望を満たそうとしたのか。答えは簡単。幸福になりたいからだ。
 幸福になりたいからこそ、欲望を満たそうとする。欲望の充実こそが、イコール幸福であると信じて疑うことはない。

 だが遂に、世界の姿は明らかになった。
 欲望の充足を追求した果てに、人は幸福になんてなれない。世界のシステムは、誰も幸福な人を生み出したりはしない。満たされない欲望は、誰かの不幸を生み出すだけだった。
 ならば、幸福とは何か。人の生きる意味とは何か。ありとあらゆる既存の価値観が、物語上で俎上に並べられ、解体される。そして物語はわれわれ読者に問うてくるのだ。

 あなたにとって幸福とは、そして生きる意味とは何ですか?
 と。

 こうした「問いかけ」と言うのは……普通の哲学には不可能な、物語にしか出来ない作業だ。そんな高度で困難な作業を、ギャグを交えながら、エンタテイメントとして調理してしまう。
 業田良家さんてば、スゴ過ぎます。

 そして物語は、これから佳境を迎える。
 狂った世界を何とかするため、小雪がとうとう動き始めた。ならば、もともともはその、狂った世界の住人であった主人公。だがその、狂った世界の正体を知ってしまった主人公は、いかなる行動を取ろうとするのだろうか。
 物語は加速[ドライブ]し続けて、ボクには予想がつかない。

 ただ目の前で傑作が生まれつつある。その予感にだけは自信を持てる。
 皆さんも機会があれば、ぜひ読んでみてほしい。

posted by はまさん at 01:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 感想的(マンガ)

2008年02月08日

漫画『聖☆おにいさん』で萌えて、笑うが良いさ

 これ以上ないと言うくらいに、大声を出して笑いました。妙にツボに入ったんですよねー。

 内容はと言うと、ブッダとイエスが日本でアパートを借りて、下宿暮らしをすると言う。日常的ミラクル(宗教的に)ギャグ漫画。

 イエスの思い出し笑いで、六甲の水がぶどう酒になってみたり。
 ボクもまさか読んでいて「兎のジャータカかよ!」なんて、マニアックなツッコミをすることになるとは思わなかった。

 やけにテンポの良いギャグセンスだなと思ったら、『荒川アンダーザブリッジ』の作者さんだったんですね。納得。
 でもボク個人としては、『荒川アンダーザブリッジ』よりもこちらの方が、キャラクターが立っていて好みだったかもしれない。

 自分でも、なんでこんなに笑ったのだろうか。考えてみると、ブッダもキリストも、世界最強の「萌えキャラ」だったんですよね。そりゃあ、キャラクターが立っているわけだ。
 ちなみに、その意味で言うと、聖書もジャータカも、萌えストーリーになるんですけど。

 でも確かに構造として考えてみると。「イエスが水をぶどう酒に変える奇跡を起こした」と言う物語を知らないと、あのギャグは笑えなかった。つまり、前提知識あっての共謀作業が、読者と作者の間に行われたわけですよ。
 もっと簡単に説明すると、この漫画はブッダやイエスの二次創作ギャグ、と言うことになるでしょうか。

 そう考えると宗教説話と言うのは、前提となる知識を必要とする、と言う意味で。萌えの物語と、基本構造を同じくすると考えて良いのではないだろうか。
 ボクが思うにきっと、ブッダの螺髪[らほつ](あの仏像独特のパンチパーマみたいな髪型)。あれも昔は、今で言う「ツインテール萌え〜」と言った、萌え記号と似たようなものだったんだよ!

 たぶん。

 ところでブッダもイエスも、やけに無職生活が似合うと思ったら。考えてみると、ブッダは元ヒキコモリで、イエスは元ニートだったんですよね。そりゃ似合うわけだ。

 とまあ、そんな感じで、世界でも最も偉大なるふたりの宗教指導者たちへ萌え萌えになり、そして笑うと良いですよ。

posted by はまさん at 00:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 感想的(マンガ)