2010年12月21日

小説技術メモ/叫び

声でなら、大きく叫べば目立ちます。
が文章では声の大小が表現されません。

ならばどうするか。

文章で強調したいことがあるのなら、
言いたいことの前後を含めて、伏線を張る。
つまりは「構成」を行えば良いのです。

イメージ的には、
いきなりジャンプするのではない。
助走をつけて、ホップ、ステップしてから
ジャンプするのだと思ってください。文章では。

一瞬だけ大声を出すだけが「叫び」とは限りません。
全体を大きく使っての「叫び」もある、というわけです。
posted by はまさん at 00:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学的(描写)

2010年10月21日

小説独自の表現法に関する加筆

【216】 そんな事はありません。 無糖炭酸水 メール   2010年8月29日 13時59分

 「描写の技法」の2:三点リーダーへの逃避で、「映画でも演劇でも漫画でも、キャラクターの思いを伝えるには、セリフを使うしかありません」と仰っていますが、そんな事はありません。
漫画「タッチ」で和也が亡くなった時、南と達也はどうしていますか? ただ泣くだけですよ。南は高架下で。達也は自室で。その泣き声は、電車の走る音と、ステレオの大音量によってかき消されています。それらの大きな音でやっと聞こえなくなるほどの号泣なのでしょう。セリフがなくてもキャラクターの思いは伝わります。

 このような指摘を頂きました。改めて読んでみると、確かに説明が舌足らずになっています。そこで多少、改正と追記を加えさせてもらいました。多少とはいえ、気が付くと結構な量になってしまいましたが。
 他の表現媒体と比べて、小説の持つ独自の表現とはどのようなものなのか、という内容になっております。場所は、こちらの最後の方です。
 お暇でしたら読んでみてください。

http://www.h7.dion.ne.jp/~p-o-v/high/touhi-2.htm
posted by はまさん at 00:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学的(描写)

2010年06月03日

付け焼き刃で風景描写が上達する方法

大した努力もなしに、いきなり風景描写が上手くなるコツが、ひとつだけある。
俳句の歳時記を参考にすることだ。
本格的なものは必要ない。
むしろ文庫サイズくらいの、簡単なものでないと使いこなせないだろう。

ま、この程度なら参考資料として持っておくと便利だよ?

posted by はまさん at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学的(描写)

2010年03月11日

描写をバタつかせないためのステップ:後編

前回はこちら

■STEP2:再び膨らませる

 今度はSTEP1で作った、描写のプロットが幾つかあると思いますが。その中から、どれでも構いません。どうせ何度も練習することになるのですから、適当で良い。気に入ったものを、ひとつ選んでください。そして、Q1の練習文と比較しましょう。
 もちろんQ1とQ2とで比較するのは、練習として基本かもしれませんが。ですが、いろいろな組み合わせを試した後ならば、より深く作品の意味を理解できるはずです。

 今ならば分かるのではないでしょうか。
 Q1の解答は、喩えるならば「伝えたいことの反復横跳び」になっているのです。視線が上を向いたかと思えば、すぐ下を向き。遠くを見たかと思えば、いきなり自分のこと、つまり近くに戻ってみたり。視野が広くなったり、狭くなったり。
 ともかく「伝えたいこと」に落ち着きがない。読んでいて、情景をイメージする暇がありません。

 というわけで、やっとこの段階にまで来ました。選らんだ描写プロットを元に、自分なりで構いませんから書き直してみましょう。再び、伝えたいことを膨らませるのです。今度こそ要点を見失わないよう気をつけてくださいね。
 ただし、ひとつだけ注意です。Q1の解答で使った語彙は、いくらでも使い回しても構いません。と同時に、新しく付け加えても、削っても結構です。つまり、使う語彙は基本的に自由ということになります。

 すると気付くでしょう。同じ情報量・内容でも、しかるべきステップを踏めば、読む印象は変わってくる。実際にSTEP1でもやったことといえば、情報の組み合わせ方の違いから生じる、意味の確認だけでした。
 そうして、「何を書くか」という次の段階、「どう書くか」とはどのようなものかを体験して欲しいと思います。《それ》こそが描写の次ステージ、すなわち《視点》の問題となってきますから。これ以上は高度になってくるので、また別問題になってきます。

 以上、ここまで「書きたいことを膨らませる」、「要点を捉える」、「どう書くかを意識して意味を作る」と、何段階もの複雑な工程を経てきました。
 もしかすると、面倒臭いと思われるかもしれません。ですが以上は慣れてしまえば、無意識的に行えるようになってきます。この「新たな工程を憶える→無意識的に使えるようになる」というプロセスこそが、《上達》というものなのです。
 ゆえに、手を抜いていると、いつまでも上達できないわけなのですね。



■手で憶える

 ここから先は蛇足になります。

 当然といえば当然なのですが。
 技法というものは知識として、頭で憶えても使い物にはなりません。文章を書いている最中、困ったことがあったら咄嗟に使えるようでないといけない。
 そのためには、頭で憶えた知識を、直感とか本能といった深いレベルにまで刻みつける。いわゆる「手で憶える」ことが必要となります。

 小説修行とは、先達から学んだ《正しさ》に基づいて、だが自分なりの責任で答えを出さなくてはならない。すると、他人から与えられた答えでは、《自分なりの正しさ》を証明できないことに気付きます。必要なのは、「他人から与えられた魚」ではなく「自分で身に付けた魚の釣り方」なのですから。
 ですが、「魚の釣り方」を憶えるには、自ら竿を握って、試行錯誤を重ねるしかない。だから技法というのは知識を暗記して「やってみた」だけでは足りない。自分なりの答えを出すには、いつだって「手」にしかできないのです。
 その意味で今回Mさんの「できた」という報告は、大したものだった。それだけの苦悩を重ねた末に、自分で解決法を見出した、ということですからね。

 そして、普通の職人芸であれば「手で仕事を覚える」ためには、ともかく数をこなすしかありません。が、小説だと、ちょっと事情が変わってくる。小説技法というものは、自分で自分に対して、問題意識を抱いていないと身に付けられるものではありません。
 問題意識とは、自分への不満・不足からしか生まれない。自分には何が足りないのか、自分はどこが弱いのか。自分で自分が弱さを認めるというのは、辛い作業です。
 そうやって、毎日の食事が血肉を作るように。小説への苦悩を糧に、自分の精神を構築する細胞を入れ替えてゆく。《書き手》という、別のイキモノになる。自分で、自分の望む、自分自身になる。

 すると、また自分の中に他の欠落が見つかってしまう。また苦悩を重ねる。再び、新たな自分へと生まれ変わる。それを何度も何度も繰り返す。
 これが小説修行というものです。
 苦しいばかりで、なかなか結果の出ない、でもやり甲斐のある作業であることは確かです。Mさんは、その門前に立ったというところでしょうか。是非とも楽しんでもらいたいものです。

以上っす。




 ……いやあ、一度面と向かって口頭での批評をやってあげたいものだ(笑)
posted by はまさん at 23:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学的(描写)

2010年03月07日

描写をバタつかせないためのステップ:中編

前回はこちら

■STEP1:三文のワケ

 まず最初の練習ですが。Mさんによる、要点を捉えた三文がありますね。この順序を、色々と入れ替えてみましょう。入れ替えて、どう内容が変わってくるのかを確認するのが目的です。
 とはいっても、意味が分からないかもしれませんから。触りまではボクがやってみるとしましょう。

 その前に要点の三文を、説明しやすいよう、以下のように略号をつけさせてもらいます。
小樽の夜景は綺麗だ。→→→→《夜景》
港町の光が輝いている。→→→《港町》
海が遠くまで続いている。→→《海》

 そして順番の入れ替えですが……
 例えば、《港町→海》と並ぶと、近くから遠くへ視線が消えてゆくかのような効果が狙えますね。逆に《海→港町》という並び方ならば、視線が遠景から近付いている。と同時に、モチーフのスケールが小さくなって、視野が狭くなったかのような効果があります。

 それから問題なのが《夜景》の置き所です。実は《夜景》は、論説文における「結論」のような機能を果たしています。だから、真ん中へ置くのは難しい。どうしても、始めか、終わりかということになります。
 始めに《夜景》を配置すれば、読者は「どう綺麗なのだろうか」と興味を持ち、サスペンス的な効果が出てくる。対して、終わりに《夜景》を配置すると、描写を読んでいる間ずっと読者は、ここがどこなのだろうか、と興味を抱きながら読むことになる。そして最後に地名が明かされることで、ミステリの効果を期待できるでしょう。
 狭い数文の中ででも、構成技法は使えるのです。

 また《夜景》の使いどころとして更に面白いのが、主観と客観の問題です。
 「夜景が綺麗だ」というのは、客観的な事実ではありません。主観に基づいていた印象による描写です。対して、《港町》や《海》は客観文ということになりますが。だから読者は《夜景》を読むと、焦点子をすぐ傍に感じることになる。
 そこで試しに《海→港町→夜景》という並べ方をしてみましょう。すると、どうなるか。視線が遠くから、近くへ、焦点子に向かって戻ってくることになります。つまりカメラが移動しているかのような効果が得られる。そして最終的に、海や港町を見渡せる場所に、焦点子が立っている。夜景を見渡せる場所だから、焦点子は小高い場所にいるのだと、読者に提示できるわけです。
 と同時に、客観描写から主観描写へと変化することで、読者は段階を踏んで焦点子の存在を知ることができます。つまり焦点子自体が、ミステリの効果を持つのです。
 ……これを応用してですねー、ちょっとしたイタズラです。《海→港町》の間は焦点子を隠して、いわゆる《神の視点》で描写を行う。だがジワジワと主観がにじみ出し、最後に「夜景が綺麗だ」という箇所で、実は焦点子が存在していたと明かされる。いっそのこと、三人称だと思わせておいて、実は一人称だったという文章でも面白いかもしれません。
 かなり高等なテクニックですね!

 と他にも欲しい効果によって、様々な組み合わせ方があるはずです。三文で序破急の構成をつけてみるとかね。ちなみにこの文章を書きながら、ボクは今までの自分では思いも寄らなかった新技法を閃いたりしています。
 これという絶対的な唯一の組み合わせなどはありません。《書き方》とは、書き手の意図と、作品の効果と、読者の読み方によって、生き物のように変わるものです。
 そして自分が真に何を伝えたいか、などは自分にしか分からないもの。ですからMさんが三文で描写を行っても、ボクは採点できなかったのですね。

 たった三文の組み合わせ。されど三文。可能性は無限大に広がっています。いろいろとチャレンジして、ニュアンスの違いを確認してください。
 ……もしかすると、中には「どんな組み合わせでも、結局は同じ文章だろ」とか「こんな細かい違いに拘ったって、意味薄いだろ」なんて思う方もいるかもしれません。ですが「神は細部に宿る」という言葉が正しいとすれば。こうした細かな気遣いこそが、まさしく「神の宿るべき細部」となるのです。
 まずはその、自らの手で細部に神が宿る瞬間、というのを自らの目で経験しましょう。

 さて、これで描写のプロットが出来上がりました。

posted by はまさん at 23:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 文学的(描写)