2013年10月26日

ビートシートに向き合ってみた

 どうも最近、ハリウッド映画で流行っているという、ビートシートなるストーリー構成法があります。内容は難しくない。以下のチェック項目を埋めるだけです。
【ビートシート】
1、平凡な世界。
2、冒険への誘い。
3、誘いの拒絶。
4、ガイドとの出会い。
5、第一関門。
6、試練・仲間・敵。
7、準備。
8、危機。
9、報酬。
10、帰路。
11、最終決戦。
12、宝を持っての帰還。

 このビートシート。大変に優れた構成法ではあるのだろうと思います。ですが近頃は問題が起こってきたらしい。優れた構成法ゆえに、誰も彼もが真似し過ぎて、ハリウッド映画がどれもこれも似たり寄ったりになってきたのです。

参考リンク:ハリウッド大作映画がどれも似てしまう原因となる台本作りの「公式」とは?

 さてボクがビートシートを知った当初、どうしたかというと。実は、こんなモン役に立たねーよ、と一目で印象を抱き無視してしまいました。まさか、今じゃこんな大影響を与えているとは思わなかった(笑)
 するとボクも創作技術を研究している身。ビートシートに向き合ってみることにしました。

 とりあえずはタロットカード二枚でアイデアを作り、ビートシートに照らし合わせてみます。
 アイデアは二個。以下のような設定が出てきました。では、このふたつのアイデアとビートシートを使って、物語を作ってみましょう。
【アイデア】
●皇帝+力:戦争に勝利を呼ぶ魔法の剣。
●恋人+月:恋人が記憶喪失になって彼を忘れる。

【ビートシートで皇帝+力】
平和な国に隣国が攻め込んでくる。降伏するか迷っていた王子だったが、とある人物に与えられた魔剣を持って戦うことにする。すると不思議な力に守られて、なんとか襲撃を持ちこたえることができた。不思議に思う王子の元に、隣国からの暗殺者が送られてくる。その暗殺者を撃退した時、王子は剣に秘められた魔力を知る。そして遂に決戦。剣の魔法によって敵を撃退し、国に平和が戻った。

【ビートシートで恋人+月】
もうじき結婚するはずだったふたりだが、彼女が記憶喪失になってしまった。彼のことを忘れてしまった彼女だが、記憶を取り戻すまで一緒でいる約束をする。だが、結婚式が近付いている。このまま一緒にいても構わないのか苦しむふたりだったが、思い出の地を回ることにする。その旅の中で絆を深め、愛し合ったふたりになった時、彼女は記憶を取り戻し、つつがなく結婚式を迎える。

 うん、確かにベッタベタなハリウッド映画っぽくなった気がします。エンタテイメントとしての起伏があり、だがベッタベタな発想ゆえに驚きは少ない。
 ならば比較です。最近になってボクの構築した、名付けて「はまメソッド」ででも同じアイデアから物語を作ってみましょう。
【はまメソッドで皇帝+力】
小国が隣国に攻め込まれる。だが小国の王子は、とある人物から魔剣を与えられる。魔剣には、どんな戦いにも勝利できる魔力を秘めているという。魔剣の力で王子は隣国を撃退した。その後も連戦連勝。小さかった国は大きくなった時、大陸の諸国は連合軍を組んで攻め込んでくる。王子を魔王と呼んで。魔剣の真の力とは、自身が勝利するための戦乱を呼ぶものだったのだ。王子は連合軍にも勝利するが、後に残ったのは戦火に焼かれ焦土となった故国だった。

【はまメソッドで恋人+月】
永遠を誓ったふたりだったが、彼女は記憶喪失になってしまう。出会う前に戻ってしまったふたり。恋心を忘れた今、自分たちはどんな関係なのか不安に陥る。だが彼女は新しく彼に恋をし、愛の告白をする。そうして彼は、人は誰もが時と共に変わり、何度も出会い直すのだと知る。

 手前味噌ですけど正直……コッチの方が面白いと思うんですよね−。
 ビートシートは、というよりハリウッドの神話学はユング心理学における自己実現神話を参考にしています。そこへ小道具としての設定を加えるだけ。だから小道具は代替可能で、魅力の可能性を引き出すことは不充分だといえる。
 あくまで自己実現こそが中心。だが自己実現とは物語が持つ面白さの、数多くある神話の、ごく一部に過ぎない。

 なぜハリウッドでは自己実現の物語を繰り返すのか。ハリウッド映画とは基本的に戦時のプロパガンダだ。だから逆に、自己実現の物語しか作ることを許されないのではという可能性もある。
 だったらビートシートの、自己実現の可能性も、そこらを追求した果てにあるとは思うんですけどね。なぜ、掘り下げない。

 物語には異化効果により日常を非日常に更新するという役目があります。だが日本人って発想がフリーダムなモンだから、通常運行で変な発想をポンポンと出してしまう。
 けどハリウッドには異化が少な過ぎるんじゃなかろうか。自己実現では異化にならず、今ある自分の肯定にしかならないと思うんだが。

 ちなみに「はまメソッド」は設定の面白さを引き出すことに主眼が置かれています。そのための、短編練習によるどんでん返しだったのよ。……一般公開する気は、さらさらないがな!
 辻褄を合わせただけのストーリーを作る手法なら、他にも持っているし。ビートシート、ボクには要らないかなあ。
posted by はまさん at 01:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学的(ストーリー)

2012年05月25日

プロットノック×アイデアノックでオリジナルストーリーを作る

 プロットノックとアイデアノックを組み合わせて、オリジナルの物語を作る方法を思いつきました。
 まずはアイデアノックで一行アイデアを考えます。次にプロットノックを行うのですが、この際に《現在》の部分へ先程のアイデアを入れてしまう。そして他の場所へカードを配置し、そのままプロットノックを行ってしまうのです。
 試しに何作か考えてみました。割と悪くないと思うんですよ? 皆さんもお試しあれ!

【アイデアカード】沐浴と血
【一行アイデア】返り血を浴びる
【プロットカード】過去:勇敢 現在:なし 将来:縛鎖 結論:賢者 援助者:裏切り 敵対者:成長
【ストーリー】勇者は戦い続け、返り血を浴びすぎた。もう戦いたくない。だから賢者の忠告に従い、民の期待を裏切ることにする。

【アイデアカード】杖と命令
【一行アイデア】王の証たる錫杖
【プロットカード】過去:不安 現在:なし 将来:祝福 結論:贈与 援助者:闘争 敵対者:支配
【ストーリー】独裁者の統治する国で、正統なる王の証である錫杖を得た者が、戦いの果てに君臨する。

【アイデアカード】少女と殺人
【一行アイデア】少女の殺し屋
【プロットカード】過去:出会い 現在:なし 将来:蛮行 結論:契約 援助者:誕生 敵対者:病
【ストーリー】少女の殺し屋と遭遇し、執拗に命を狙われるうちに、恋が芽生えて結婚することに。

【アイデアカード】敵と最強
【一行アイデア】人類を滅ぼそうとする敵
【プロットカード】過去:怠惰 現在:なし 将来:老い 結論:蛮行 援助者:敗北 敵対者:輪廻
【ストーリー】エイリアンが人類を滅ぼそうと襲来するも、政府は無能で犠牲が増える一方。そこでクーデターを起こした者たちがいたが、やはり無能だった。

【アイデアカード】法悦とテロ
【一行アイデア】カルトによるテロ
【プロットカード】過去:不和 現在:なし 将来:老い 結論:蛮行 援助者:祝福 敵対者:賢者
【ストーリー】堕落した世界を革命しようとしたカルト集団。だがその考えは古い思い上がりだった。革命は支持を得られず、単なる破壊に終わる。

【アイデアカード】メイドとらぶらぶ
【一行アイデア】いきなりメイドさんと同居生活
【プロットカード】過去:平穏 現在:なし 将来:老い 結論:贈与 援助者:輪廻 敵対者:呪詛
【ストーリー】平和な日々を送る少年の家に押しかけてきたメイドさんとの同居生活。その中で少年のトラウマが蘇る。しかしメイドは恩返しのために来たのだった。結果、少年は大人になる。
posted by はまさん at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学的(ストーリー)

2012年01月25日

小説技術メモ/ストーリー

件の「対称性の技法」ですけど。
技法の特性とは、いついかなる時でも再現可能であること。
というわけで本家タロットカードと、はまタロットを使い、
反復練習をしていました。
で、先日とうとう百本クリア。わーい。
おかげで技法もかなり洗練されてきました。

その中で「王道とは何か」ということについても、
何となくではありますが、分かってきた気がします。

まず「物語を読み進めるための前提となる設定・状況」がある。
この前提を受けて物語が展開する。
素直に展開するだけでは、ベタにしかならない。
そこで前提に対して、意表を突いた展開が必要となる。

つまり「前提を踏まえた上で、しかも意表をついた展開」
さえ思いつけばベタかつ面白いという、王道の物語の完成。
実は……すんごいフツーのコトいっている気がするなあ(笑)

ちなみにこの「前提を踏まえた上で、しかも意表をついた展開」を
計算して出せてしまうのが、すなわち「対称性の技法」における
真の効果だったようです。

だけど書き手も極めてくると、中には「自分の物語を持つ人」
というのが出てきます。
この「自分の物語を持つ」とは、イコール「前提(略)展開」を
考え出すためのパターン作りが出来ている人、
ということなのでしょうから。
ええ感じの展開が思いつく人なら、、
別に「対称性の技法」なんて要らんかった! 要らんかったんや!

……まあ本当は、その、ええ感じの展開が浮かばないからこそ
みんな苦労しているんですけどねー。
posted by はまさん at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学的(ストーリー)

2011年12月31日

短編書きにジョブチェンジしました報告

 わたくし今年十月頃までは全く短編の書けない、ましてやお題を与えられると脳活動がフリーズしてしまうような人間だったわけですが。このたび唐突に短編書きのスキルを獲得しました。
 スラスラとストーリーが浮かび、しかも必ず小粋なオチもつけられるのって、マジ面白え〜(笑)

 ところで、どうしてこんなことを報告しているのかというと。短編が書けない人って本来ならば、どう足掻いても書けないものなんですね。逆に短編書きの人は、スラスラと何本でも短編が量産できる。
 もうそこには、才能の差とか、脳構造の違いとでも理由付けるしかないような、絶望的な断絶があったわけです。既に持っている者は努力なしに自然と使えるが、持っていない人間はまず入手不可能。試しに短編書きの方々にコツを訊いてみると「こう……脳を解放するんだ」とか「難しく考えるな、感じるんだ」といった無茶ばかり。
 その断絶、元からの短編書きの方々には理解できないと思いますが。「短編は書けないので仕方なく長編を書くしかない」という心境に少しでも共感を覚えた方ならば、理解できるのではないでしょうか。
 短編書きのスキルとは、だから小説書きを目指しながら、持たざる者にとって心底からの憧れだったわけです。例えば星新一さんみたいになりたい、っていう。

 そんな非短編書きであったボクに何が起こったのか。ラノベみたいに、超能力が目覚めたわけではありません。
 ただ、どんなお題からもストーリーを作り出し、かつ同時にオチまで自動的に導き出されてしまうという。どうやらボクは、いわば「王道の技法」を作ってしまったようです。

 この地点に至るまで、どんな経緯があったのか、お話しますと。
 一年半から二年くらい前。タロットカードを使ってのプロット百本ノックをクリアしたボクは調子こいて、短編百本ノックに挑戦しようとし……見事に挫折していました。
 何をやろうとしていたかって、ニコニコ動画のボーカロイド楽曲から短編を書こうとしていたんですね。実際に書いた作品がこちらになります。

 ちなみにこれらの作品を、リアルの友人(非小説書き)に読んで貰った感想が「もやっとしている」。書き手仲間に読んでもらった感想が「あっ、こりゃ駄目です(バッサリ)」というものでした。
 この程度ですけど。それでも短編書きのスキルを持っていないボクがやれば、一作完成させるのに三週間以上。一作につき試案としてプロットを五十本は書いていました。で、このザマ。
 結局は、歌詞から得たイメージをツギハギのパッチワークみたいに繋ぎ合わせただけで、短編になっていないのですね。自分でも短編として面白くないのは分かっているが、どうしても上手く書けない。
 結果、四作目になってどうしても完成できず心が折れました。挫折です。

 そこでボクはもう一度、プロットノックの地金から鍛えることにしました。タロットの次は、歌詞からのプロット化です。追加で二百本やりましたから、合計で三百本やったことになります。他にも様々なやり方でのプロットノックを何十本か行いました。
 更に短編の研究も進めます。その際、気になったのが神話学でした。古代の神話や御伽噺が、一体どうやって作られたのか。ホモサピエンスへと進化した人の脳に、何が起こっていたのか。
 特に、チリの精神分析学者イグナチオ・マッテ-ブランコという方が研究した内容にボクは興味を引かれました。どうも人は無意識下や妄想であっても、特殊な方式ではあるが、一定の論理構造を基盤に物事を考えているらしい。それを「対称性の論理」と呼ぶそうです。古代人たちが神話を作り出したのは、この「対称性の論理」が大きな原因となっているらしい。
 この「対称性の論理」が大きなヒントとなりました。

 あれは忘れもしない、2011年11月3日水曜から4日木曜の寝ている間。ボクは夢の中で、短編のプロットを組立ながら、一晩中うなされていました。結果、寝ながら色々と繋がってしまったようです。それ以前は短編能力が完全に0点だったというのに。次の日から短編のプロットを組み立ててみると、面白いように理想にあったプロットが出来てゆく。全てを感覚的にではありますが、理解できるようになっていたのです。
 というわけで、さっそく小説投稿SNS「小説家になろう」へ登録・投稿した作品がこちらになります。全て天然成分ゼロの、計算による作品です。

 ただし、以前お話した名前カードを使って、小説として使い物になるアイデアが浮かぶ確率は、せいぜいが半々。更に短編作品として満足できるのが半々。成功率四分の一といったところでしょうか。とはいえ以前のボクからすれば、上等な確率です。
 しかしこのままでは、不安定すぎて、いざという時、使い物になりません。そこで感覚を何度も何度も反芻し、手順を確立させて技術化することにしました。不可能かとも思いましたが、そこで更に何度かの発想的転換が偶然にも起こり。とうとう技術化成功。
 この技術をボクは「対称性の技法」と呼ぶことにしました。

 そもそも非短編書きがやっているストーリーの作り方がどのようなものかというと。キャラの記号に、シチュエーションを放り込ませて、萌えリアクションを導き出す。後はこうした部品を積み木のように、構成を参考にしながら積み上げる、といったところでしょうか。
 ところが「対称性の技法」では、いきなり全体の完成形が見えてしまうのです。
 与えられたお題を、公式の代数へ当てはめたら、後はもう決められた手順通りに計算するだけ。はい終わり。おとぎ話のような強度ある元型のストーリーが、オチまで含めて自動的に出てきちゃうのです。
 だから構成不要。なにせ、しっかり構成まで立てられた状態でストーリーが出力されますから。今までボクがやってきた小説修行は何だったんだ。

 最近のハリウッド映画はどうも、キャンベルの神話機能論に頼り過ぎているためか、展開の強引なものが多くなっていたり。また元ネタ自体も世界中の神話をパクっていると揶揄されたりしていましたが。
 恐らくこの「対称性の技法」は、タイムテーブルより、アーキタイプより、序破急や起承転結より、もっともっと深い闇の底。人類が文字を持たなかった時代。何万年もの間、語り部たちが洞窟の中で口承してきた。神話という発想の源泉から直接、物語を汲み上げるための手法なのでしょう。
 つまり「対称性の技法」を使えば、どんなお題からもストーリーが作れるのだから。その気になれば今の時代に新たな神話元型をも生み出せる可能性があるわけです。

 浮かれても構わない場面なのかもしれませんが、ボク自身はどうにも複雑な心境でした。剣士が研鑽の途中でマシンガンを手に入れてしまった気分というか。いや、確かに強さを求めてはいたけれど、方向性が違うだろうと。
 描写も構成も視点も、暗記しただけでは駄目です。時間と練習をかけて、手に憶えさせなければ使いものになりません。その修行期間を経て書き手は、多くの大事な約束ごとを学ぶものなのですが。「対称性の技法」に限っては、ほとんど修得の手間が必要ありません。初心者でも明日から短編が書けるようになっちゃう。
 ちなみに「対称性の技法」が誰にでも使用可能かどうか。もう既にリアル友人(非小説書き、テーブルトークRPG経験アリ)を相手に運用実験を行い、成功させています。
 その時のお題は「牢獄と香り」。近日中に書いてUPするつもりです。

 修得の苦労が不必要で、自動的に答えが出てしまう技法。こんなものは技法ですらない。毒以外の何者でもありません。小説技法の追求一筋にやってきたボクも今回はさすがに、技術というものに絶望すらしかけました。
 だから「対称性の技法」は申し訳ないのですが、門外不出の秘密にさせてもらいます。墓まで持って行くレベル。リアルの知り合いならば奥義クラスの話もしていたりするのですが。さすがに「対称性の技法」だけは誰にも神髄を教えていません。話したくてウズウズするのは確かだけど、恐くって教えられない。
 ちなみに、ここで話した断片的な内容を元に、技法を再現するのは無理だと思いますよ? まず「対称性の論理」とか神話的思考といった知識を理解するため、多くの資料を読み込むのも大変だけど。そこから何度か起こった、奇跡のような発想の転換がないと技法化は不可能だったでしょうし。そもそもボク、大事な箇所は隠して話していますから。

 余談ですが、「対称性の技法」を試してもらった友人の弁によると。
「ストーリーを作る手順でやっていることが、突飛過ぎてありえん」
「発想が偶然の産物過ぎて、はまさん以外に思いつけない」
「でもコレ、本当なら例のプロットノックというヤツが必要ですね、そうすればもっとスムーズに作れただろうし」
 とのことです。確かにコレ、プロットノックの延長線上にある技法なんで。皆もプロットノックやっといた方が良いですよー?

 とまあ酷い技法ではありますが、生みの親ですし、ボクはジャンジャン使わせてもらいますね!? 実際のところ、短編脳はどうしても欲しかったから嬉しいですし。
 おかげで小説書き仲間の紅月赤哉さんがパスしてくる無茶振りにも答えられるようになりましたよ。例えば「跳び箱の中で大福を作る天才」とか「夜中に旦那の臑毛を剃る嫁」といったお題で小説を書こうよ! って、以前のボクならば全速力で逃げていたことでしょう。
 これも二年をかけて修行した、執念のなせる業かもしれません。

 今後の予定ですが。まずは、どんなお題でも思い通りの小説が書けるよう、バンバン書いて技法を洗練させてゆこうと思います。その過程を通して、「対称性の技法」を更に極め、自分の血肉に王道というものを染み込ませる。
 今までのボクは描写に頼り過ぎていました。音楽でいうなら、重低音を利かせたダンスミュージックのようなもの。聴いている最中はノリノリになれるかもしれないが、すぐ忘れてしまう。
 ですがボクは今回この短編研究において、描写を捨てて粗筋のみで勝負するということに挑んできました。それは音楽で例えるなら、シンプルなオルゴールの、だがいつまでも記憶に残るメロディみたいなもの、ということになるでしょうか。
 では、ダンスミュージックのようなノリの良い描写と、オルゴールのような記憶に残るストーリーとが合体したら、どんな小説になるのか……? 「アマチュア文章書き・はまさん」として、まだまだ数年単位での修行が必要だろうけど、ずっと目指してきた地点がようやく見えてきた気がします。

 さて、とりあえずは「夜中に旦那の臑毛を剃る嫁」をお題に一作書くとしますか。
posted by はまさん at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学的(ストーリー)

2011年12月30日

陸海さんの質問へ返答

 陸海さんの質問へ返答させてもらいます。
 そうですか。それでは質問します。これから、お書きになろうと思っている内容と重複する部分もあるかもしれませんが、どうぞご寛恕のほどを。

 まずは、用語の確認です。

質問1:『偶然の技法2』に出てくる「作意」というのは、ここではどういう意味なのか。また「作意を積み重ねる」とは。「作者の都合」とは、別物なのか。

 次は、私なりの意見を前提とした質問となります。牽強付会な部分もありますがご容赦を。
 
「必然と偶然を峻別するものは前置き若しくは後説の有無である」

 これが前提です。例を取ってみましょう。

例1:「失恋で傷心の女が旅に出た。そこでたまたま新しい男を見つけて恋に落ちました。めでたしめでたし」
 ご自身がお書きになった「偶然」の例です。これを「必然化」してみましょう。

例2:「女は生来の吝嗇家だった。失恋の痛手で表面上は自暴自棄のような状態であっても、奥底の本能部分では旅行の費用分はしっかり元を取らなければと冷徹に計算していた。したがって、何であれきっかけがあれば、それを触媒として自己暗示的、偽薬効果的に回復することができた」
 ちょっとドラマ性に欠ける気がしますが、必然性はかなり補強されたかと思います。

 例1と例2の違いは何か。「女」の設定の有無です。この設定の開示が、事件の発生に先立って行われれば「前置き」、後れて行われれば「後説」です。

 さて、このように「必然」の出来事には「前置き」「後説」が欠かせません。また、事件の規模が大きくなれば、それらの「理由付け」に必要な項数は多くなり、その分だけ、ストーリーの進行に手間取ることになります。そこで

質問2:事件の発生に必然性を求めた場合、その理由付けに項数を費やすことになるが、どのように対処するのか(事件内に小事件を設けて、緊張感を維持しつつ理由付けをしていくという方法も考えられるが、実際にうまくやっている作例はあるか)

 この問題に加えて、連作長編=シリーズ化した場合には次のような問題が出てきます

 「事情」→「事件」→「問題の表面化」という流れでストーリーを組み立てた場合、ストーリーの終りには「問題の解決」がこなければ、読者にカタルシスを与えられません。
 
ところが、問題を解決してしまった場合、当然「事件」を生み出す「事情」も解消されてしまいます。そんな状況では、続編にもまた「事件を生み出す必然的な事情」を設定するのは困難です。
 
かといって、問題の解決を先延ばしして、同じ「事情」から新しい「事件」を起こしていたのでは「何だこの主人公は。また同じことを繰り返しているのか。成長しないやつだな」「また同じ展開かよ。マンネリだな」といった批判を受けることになるでしょう。

質問3:シリーズ化した場合にも事件に必然性を求めれば、「事情」の維持が困難なるが、それにはどう対処するか。作例はあるか。

 質問3には、

「事件内で問題解決のために主人公が取った行動の一つが、次の事件の事情を生み出すようにする」
 といった解決法があります。が、シリーズ全体への精緻な見通しが必要となるでしょう。また、この手法は、シリーズの構成が緊密になる一方で、新規読者のシリーズ途中からの参入を妨げてしまいます。
 個人的には、事件の発端は適当に片付けて(依頼型でも、巻き込まれ型でも、任務型でも)、事件そのものの奇抜さ、事件解決法の意外性、納得性といった部分に工夫をこらす努力をした方が、有益なんじゃないかと思います。
 それでも、「事情」を付与したいというなら、その「事情」はなにも主人公が抱えている必要はないかなと思います。(「とある〜」でも主人公自体はなんの事情も持ちません。しかし、関わり合いになる人物は入り組んだ事情を抱えていて、主人公が狂言回し的立場でそれを解決するという形が多かったと思います)

 最後に、必然性の問題からは離れるのですが、「シナリオの基礎技術」読みました。ハリウッド式の脚本技術書の多くが作品の「設計」に関する部分を重視しているのに対して、この本は、その「設計図」を実際に作品として仕上げる際の、いわば「施工」に関する技術を重視しているように感じられ、興味深かったです。特に気になったのは「シャレード」と題されたトピックです。

質問4:「シャレード」に関して他に詳しく述べた資料(書籍、ウェブページ)があったら紹介してください

 こんな感じです。長文でお邪魔してすみませんでした。

■質問1
 これは改稿させてもらいました。

■質問2
 これは……ファンタジーを書く者ならば、当然踏まえておくべき約束事の応用なのですが。設定や事情とは、キャラクターのリアクションを通して、物語として伝えるものです。必ずしも地の文で説明する必要はありません。地の文でわざわざ説明しなければならない事情というのは、むしろ下策といえるでしょう。

 そもそも、事件単体ではドラマは生じないのですね。事情からいかに展開するかで、葛藤が生じるのですから。だから、ぶっちゃけてしまうと、事件に理由が必要かどうかというと疑問すら起こる。
 偶然や必然とは、読者にそう思わせるためのものであって、作者がどう考えているかは関係ないのですから。問題は、読者へどう物語を見せるか、なのです。偶然を多用していると、ストーリーは散漫になる。しかし逆に考えれば、ストーリーが散漫にならなければ、偶然を多用したって別に構わないじゃないかという話にもなりますし。

 よって返答としては、物語を進めながら、同時に読者へ事情を伝える工夫ができないか、を考えた方が良いでしょう。そのための描写であり、映画ならばシャレードなのですから。


■質問3
 この問いについては、様々な方法が考えられます。

●例1:
 《事情》とひとことでいっても、関わる人によって階層があります。つまりは、大事情と小事情を使い分けるのです。
 例えばベタなところだと、魔王を倒すには、伝説の武器を集めなくてはならない。そこで伝説の武器を集めようとすると、また別の厄介ごとに巻き込まれる、というような展開です。

●例2:
 全ての問題は必ず思い通りに解決するとは限りません。ともすれば問題は解決されず、悪化する場合もあります。

●例3:
 物語を通してキャラクターの性格は変わるものですが。性格が変われば、動機も変容します。すると新たな問題が浮上することになるでしょう。

●総括:
 そもそも、物語を続けるほど、偶然に頼らずとも展開が可能になってくるものです。偶然が絶対に必要なのは例えば、冒頭における出会いのシーンになるのですから。
 すると、一回一回の構成をきちんと心配した方が良い、ということになるでしょう。


■質問4
 実は小説だとシャレード技法は、それほど多用しません。というのも小説ほど、内心の描写が簡単なメディアはないからです。しかし映像だと外面は表現できても、内心までは撮影できない。そこで生まれたのが、シャレードやモンタージュといった技法だと考えて良いでしょう。……ある種の、苦肉の策ともいえるわけです。
 そこを小説に使うのならば、描写の応用として、強調の意味で使えば良いかもしれません。どのみち、シャレードを映画脚本そのままに使わず、文章独自の表現法というのを考えてみてください。

 その上での参考文献ですが、最近読んだ中では『超短編シナリオ実践添削教室』(柏田道夫・言視社)という本は実例が多く役に立つかもしれません。
posted by はまさん at 22:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 文学的(ストーリー)