2018年02月21日

読了『おうちでできるモンテッソーリの子育て』

 将棋で有名になった某プロが受けていた、というので脚光を浴びた教育法なのだけど。それはそれとして。身近で知っている子が、どうもこんな感じの教育法の幼稚園に通っているっぽい。それで興味が出たので読むことに。

 なぜ、こうした自主性を重視する教育法が、現代にこそ求められているのか。
 現代というのは未来が不確定すぎて、分からない。未来が分からないということは、子供にどんな教育を施せば良いのか分からない、ということだ。良い大学に入れれば将来安泰、なんて遠い過去の話だ。

 じゃあどうするか。せめて、その時その時で子供が時代に適応できる能力が必要だ。そこで希望を持てる教育ということになる。
 希望といってもフワフワしたものじゃない。今の自分がどうなっているのか、未来の自分がどうなるか、と考える想像力こそが希望につながる。

 では想像力とはどう身につけるのか。想像力といってもゼロから生まれるものではない。
 肌で味わった身近な、そして様々な体験。そして小さな成功体験の積み重ねによる自己肯定感。
 このふたつの記憶こそが、想像力となる。……これはなかなかに説得力があるんじゃなかろうか。

 時代が怒濤の勢いで変化する中。公教育だけが、無料化だ、予算削減だ、と金の話をするだけで。内容まで変わっている気がしない。
 早くから英語を教えよう、プログラミングを教えよう、といったって。それは将来の安価な労働者を大量生産するためだよね? としか思えないし。

 経済格差による教育格差とはもしかして。裕福な家ではこうした進歩的で手厚い教育を受けているのに対して。公教育が遅れているから、生まれているものじゃなかろうか。
 そう考えさせられてしまった。

posted by はまさん at 23:58| Comment(0) | 感想的(その他)
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