2018年02月13日

読了『表現とはなにか 系の世界』横溝洋

 ボクが大学に入った頃。周囲との読書量の差に愕然とし、評論も読まねばと思ったけど、何を読めば良いか分からない。そこで古本屋のワゴンにあったのを手当たり次第に買ったのが本書。
 だからボクが生まれて初めて読んだ美術評論ということになる。

 けど当時はちんぷんかんぷんで、途中で挫折したまま積んでいた。
 それを今になり改めて読み返したのだけど。今だから分かる。これ、専門用語を並べて、読者を煙に巻いているだけだ。内容も大したモンじゃない。

 戦後の左翼系アカデミズムの、よくあるパターン。他人の受け売りばかり。
 やたら日本をこきおろす代わりに、中国を賛美してみたり。社会芸術という概念を説くのも、共産主義独特のアレ。
 本人はどうやら中東芸術を元ネタに創作しているようだが。まあ当時なら珍しいかもしれないけれど。情報化社会の現代では通用しないだろうなあ、と。

 ただ、ひとつだけ。恐らくは著者自身がちゃんと考えた論なのだろう。ボクもこれだけは昔から、今まで影響を受けている論がある。
 芸術を2×2のグリッドに分け、「貴・尊・賤・卑」の四つにカテゴリしてある。
 こんなふうに。
貴│尊
─┼─
賤│卑
 これの面白いのは、芸術とは隣接したマスへ変化するというのだ。庶民の「賤」がなければ、特権階級の「貴」は成り立たない。金のない「卑」も追求すれば、宗教のごとき「尊」に至る。ただし「貴」と「尊」の間には障壁があり、行き来することはできない。「貴」が「尊」になりたければ、一度「賤卑」に降りなければならない。

 ……ここだけは今読んでも、自分の頭で考えたのだろうな、というのが文章だけで分かる。
 正直、とても何十年と読み継がれる古典になれるかというと、厳しいのだけど。「貴・尊・賤・卑」の箇所だけ、恐らくボクは覚えていると思うのだ。
posted by はまさん at 17:58| Comment(0) | 感想的(美術)
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