2018年02月25日

なぞなぞ・言葉遊びの本を読みました


 『ダヴィンチコード』や『インフェルノ』を読んだり、映画で鑑賞したりしながら、ボクは相も変わらず物語の構造解析をしていたわけですよ。どうやったら「こんなの」が書けるようになるんだろうか? ってね。
 それで気がついた。謎解きの結果を、次の目的地にすれば良いんだ。でも謎解きはどう作ろう。アナグラムを多用しているようだけど……これってつまりは、なぞなぞだよな?
 というわけで、なぞなぞについて勉強することに。

 図書館中を探した結果、なぞなぞや言葉遊びの本があるのは児童コーナーが一番らしい。更に何十冊とある中から厳選したのが、以下の二冊になります。
 思えばボクが勉強した「日本語作法」とは、近代小説の技法に由来するものばかり。
 対してなぞなぞとは、掛詞といった、平安の世から和歌として続いてきた体系に属する技法体系。しかも江戸時代になって新しく編み出された手法まで存在する。
 つまりボクには「新しい手法」に見え、とても刺激的でした。

 なので全部ノート化しました。ええ。

『日本語あそび学 平安時代から現代までのいろんな言葉あそび』稲葉茂勝 今人舎

『なぞなぞ学 起源から世界のなぞなぞ・なぞかけのつくり方まで』稲葉茂勝 今人舎
posted by はまさん at 23:14| Comment(0) | 感想的(作劇・文学論)

2018年02月22日

読了『遊戯の起源』増川宏一

 遊びが人類史の中でどう生まれ、洗練されていったか。
 例えば初期の遊びには、的当てや釣りといった、狩猟の真似事が多くあった。それが戦争の真似事としての遊戯になり。スポーツ競技として、社会的には無為な、つまりは「遊び」になったという。
 なるほど。確かに玩具には兵器を模したものが多い。

 またルールの洗練史も面白かった。古代のジャンケンなんて、今でも面白そうだ。
posted by はまさん at 00:04| Comment(0) | 感想的(歴史)

2018年02月21日

読了『おうちでできるモンテッソーリの子育て』

 将棋で有名になった某プロが受けていた、というので脚光を浴びた教育法なのだけど。それはそれとして。身近で知っている子が、どうもこんな感じの教育法の幼稚園に通っているっぽい。それで興味が出たので読むことに。

 なぜ、こうした自主性を重視する教育法が、現代にこそ求められているのか。
 現代というのは未来が不確定すぎて、分からない。未来が分からないということは、子供にどんな教育を施せば良いのか分からない、ということだ。良い大学に入れれば将来安泰、なんて遠い過去の話だ。

 じゃあどうするか。せめて、その時その時で子供が時代に適応できる能力が必要だ。そこで希望を持てる教育ということになる。
 希望といってもフワフワしたものじゃない。今の自分がどうなっているのか、未来の自分がどうなるか、と考える想像力こそが希望につながる。

 では想像力とはどう身につけるのか。想像力といってもゼロから生まれるものではない。
 肌で味わった身近な、そして様々な体験。そして小さな成功体験の積み重ねによる自己肯定感。
 このふたつの記憶こそが、想像力となる。……これはなかなかに説得力があるんじゃなかろうか。

 時代が怒濤の勢いで変化する中。公教育だけが、無料化だ、予算削減だ、と金の話をするだけで。内容まで変わっている気がしない。
 早くから英語を教えよう、プログラミングを教えよう、といったって。それは将来の安価な労働者を大量生産するためだよね? としか思えないし。

 経済格差による教育格差とはもしかして。裕福な家ではこうした進歩的で手厚い教育を受けているのに対して。公教育が遅れているから、生まれているものじゃなかろうか。
 そう考えさせられてしまった。

posted by はまさん at 23:58| Comment(0) | 感想的(その他)

2018年02月20日

読了『辛くならない絵の描き方』松村上久郎

 これは確かに絵の技術書ではある。だが、上手くなるためのものではない。絵を楽しむための技術書だ。
 「上手になる」は本書だと、「続ける」の下に位置づけられている。

 絵以外にも、創作全般に言えることが多く書かれている。初心に返るための、良書ではないだろうか。
posted by はまさん at 23:20| Comment(0) | 感想的(美術)